京都は日本映画発生の地でもある
映画の街京都は巻き返すか?
京都というのは「日本で初めて〇〇をやった」というのが多い。日本で初めてが走ったとか、日本で初めてを作った(世界でも2番目)とか。さらには日本で初めて公立のオーケストラ、(京響)を作ったとか、珍しいのでは明治10年(1877)日本で初めて人を乗せた軽気球を飛ばせた()とか。
もちろん、日本で初めて小学校を作った(明治2年)のも京都だが、日本で初めて映画が上映されたのも京都である。
明治30年に日本で初めて映画が上映された場所が、木屋町通りにある立誠小学校の講堂であった。残念ながら学校としては閉校になったが、校舎は残っている。
そこで、一体どんな映画が上映されたのかが気になるところだが、どうもストーリー性のあるものではなく、単に人や物が動いているだけの映像だったようだ。文字通りの「活動写真」だったのではないか。
[googlemap lat=”35.006078″ lng=”135.770113″ align=”undefined” width=”500px” height=”300px” zoom=”18″ type=”G_NORMAL_MAP”]京都府京都市中京区備前島町310−2[/googlemap]
日本で初期の映画の事を「活動写真」と言っていたのは、原点が「写真が動いている」だけの物だったからかなと思っていたのだが、英語でも昔は movie ではなく motion picture と言っていたようだから、これをそのまま訳して「活動写真」になったというのが正解かな。
ちなみに motion picture というのはアメリカでは今でも使っている。エンドロールのところで「This motion picture 云々」というのが書いてあるのを結構よく見かける。
さて、この立誠小学校はすでに閉校になっていたが、新たに映画学校・映画館として生まれ変わった。
http://www.cinepre.biz/?p=5553
建物はかつての小学校のまま。これは漫画ミュージアムになった龍池小学校や芸術センターになった明倫小学校と同じである。
前には高瀬川が流れている。
そして高瀬川を開削した角倉了以の顕彰碑も。さらには「高瀬川の沿革」という大パネルまで。
門を入れば映画の看板。
教室がミニシアターになったのですね。とは言うものの、全教室ではなくひとつだけのようだが。
上映スケジュールなどは下記で確認できる。
校舎(シアターというべきか)の中を歩いているとかつての校歌のパネルが。これを寄贈した卒業生たちは学校が閉校になって映画館になるとは夢にも思っていなかっただろうな。
ここの特徴は映画学校も併設していること。
学校としては俳優・演技クラス、企画・脚本クラス、配給・宣伝クラスがある。配給と宣伝のノウハウも教えるというのがミソか。
各クラス8回〜15回の授業で、52500円〜115500円まで。まあ高いか安いかは私には分らない。この授業料を高くするのも安くするのも受講者のやる気次第だろう。
http://cinemacollege-kyoto.com/temporary/
しかし、募集期間の延長をしていたクラスもあるので、一般的には高く感じるのかな。それと、「卒業後」のアフターケアがどうなっているのか。
施設の名前は「立誠シネマ×シネマカレッジ京都」というらしい。
監督ではなく企画と脚本のコースがあるというのもいい。でも、演技や脚本は他にも学校がありますよね。大丈夫かな。
何はともあれ、ここから巣立った人たちによって京都が「日本のハリウッド」として再生する時が来るか?
【言っておきたい古都がある・53】
1875年 – 初代島津源蔵により設立される。分析・計測機器、医用機器、産業機器、半導体、液送機器、油圧機器、航空機器の製造装置をはじめ製造している。
2002年、田中耕一氏がノーベル化学賞・文化勲章を受賞した。