文化庁の京都市移転を嗤う
~本当に文化に寄与するのか~
しばらく前に文化庁の京都移転が決まった。新聞によると、これは「京都府民・市民の悲願」だったのだそうだが、私は京都市民だけど別に文化庁の移転を悲願だと思ったことはない。悲願どころか「必要ない」と言っていたほうである。
そんなことをしても京都の街を役人が闊歩するだけではないのか。
もちろん、京都にとってのメリットはある。京都の文化を紹介するときに
「1200年の歴史を誇る古都・京都には国の機関である文化庁もあります」
と言えば中々箔がつく。これは京都にとって大きなイメージアップである。しかし他府県には何の恩恵も無いだろう。
だいたい地方創生と言いながら、中央のおこぼれを頂戴して喜んでいていいのかしらん。
政府は中央官庁の移転を安倍内閣の看板政策である「地方創生」の一環に位置づけているが、役所を地方にくれてやって、それで「地方を創生した」といえるのか。
どの地方にもその地の歴史と文科と伝統がある。まあ、だから「京都には文化庁」なのだろうが、ただそうなると観光庁の移転候補地が北海道か兵庫県だったのが「?」になる。何も必然性はないが、まあこれも、そうだから「移転せず」の決定になったのだろう。
地元の文化と伝統の質を高めるのではなく、中央からお役所をもらって一体何を創生するのかな。
中央官庁が自分の地域にありますといって悦に入るのは「一極集中」の末端にすがり付いて「中央」の一部になるのと同じではないか。「中央の飛び地」になるのが地方の創生か?
文化庁移転に関する政府の基本方針案によると、京都に移転させることによって
①国際発信力の向上
②文化財を活用した観光の強化推進
が期待できる由。
別に京都でなくても出来ると思うが。
こんなもの、役所のある場所ではなく役人と政治家の「やる気」で決まるのではないのかと思う。東京に住んでいた役人が、京都に引っ越しただけで「俄然やる気を出す」なんて有り得ないだろう。
だいいち、文化庁が京都にやって来るといっても、具体的な移転先や職員宿舎に関しては、これから検討するわけである。恐らく、ゼネコンやコンサルタントや政治家や役人や「有識者」や大学教授やその他もろもろの関係者が動くのであろう。あまり文化とは関係なさそうだ。
3月23日付の読売新聞朝刊で、近藤誠一・前文化庁長官が
「(京都に)文化庁職員が住めば、文化の価値を実感できるはずだ。予算を増やそうという動機づけにもなる」
と仰っている。
前半はともかく、後半はどうかな。
予算をつけるのは政治家だと思うのですが。
地方創生というなら、中央の一部に繋がるのではなく、中央には「余計な口出しをするな」と言うぐらいの気概を持って、地域の歴史と分化と伝統の特性を生かした質の向上に努めなければならない。今でも「訪日観光客何千万人」と数を追いかけるような安易な中央とは一線を画したほうが良いのである。
【言っておきたい古都がある・179】
京都府広報
文化庁京都誘致協議会
http://www.pref.kyoto.jp/chiikisousei/itensuisinkyougikai.html
■協議会の討議内容
京都市役所広報
~文化力で日本を創生し,世界に貢献するために~文化庁の京都移転が決定!
http://www.city.kyoto.lg.jp/sogo/page/0000195679.html
■これまでの経緯
■移転の意義
■文化力による日本の創生に向けた京都の役割
■今後の取組