イノシシも化けるしカワウソも化ける
~しかし人間の方が偉いのか~
人を化かすのはキツネとタヌキの専売特許かと思っていたら、イノシシも化かすのである。しかも色々なモノに化けて出てくるわけだ。
平安時代、愛宕山に聖人が住んでいた。この聖人を敬う猟師がいつも獲物を届けていた。
ある日、この聖人から夜になると普賢菩薩が現れるという話を聞いた猟師は、自分も拝めるだろうかとその夜は聖人の庵に泊ったのである。
しかし、修行を積んだ聖人ならともかく、自分のような俗人に普賢菩薩が見えるかどうか、心配した猟師は下働きの童に尋ねてみた。
すると、その童も普賢菩薩を見たという。
それなら大丈夫と安心した猟師は聖人や童と並んで普賢菩薩が現れるのを待っていた。すると、出て来たのですね。白い象に乗った普賢菩薩が。
聖人は涙を流して礼拝する。ところが、ここでまた猟師には疑問が湧いた。
修行もしていない自分に普賢菩薩が見えるのは、やはりおかしい。
そこで猟師は弓を取ると普賢菩薩めがけて矢を放つ。
すると手ごたえがあった。
驚いて悲嘆にくれる聖人に猟師は不審な点を説明した。
朝になり確認してみると、普賢菩薩が現れた場所に血の跡がついている。それをたどって行くと谷底で大きなイノシシが胸を矢で射られて死んでいた由。
『今昔物語』にあるお話だが、修行を積んだ世間知らずの聖人よりも、教養はなくても世知に長けた猟師のほうが真実を見ていたということだ。
これが意外と仏教的なのか。どうなのか。。。
さて、もうひとつは妖怪の仲間にも数えられる動物、カワウソの話題である。
江戸初期の京都でのこと。緒方勝次郎という侍が所用のため彦根へと赴いた。野洲川を渡ろうとすると一掃の小船がやって来る。見れば櫓をこぐのは美少年。ところが、その美少年は背中に木の葉を背負っているのである。
これはおかしいと思った緒方は美少年にお前は何者かと尋ねる。すると相手は「船に乗って逍遥しませんか」という。
あまりにも胡散臭いと感じた緒方はいきなり矢を放った。
すると胸を貫かれた美少年はカワウソに変って死んだ。船も木の葉で出来ており、うっかり乗ったら大変な事になるところだったのだ。
その直後、緒方は老婆と出会う。「子供を見ませんでしたか」という問いかけにピンと来た緒方は「向こうに行きました」と答えた。
老婆が川を渡ろうとするところで緒方は弓を射ち、矢が老婆の頭に当ると老婆はカワウソに変って死んでしまった。近所の人に訊いてみると、最近この近辺では旅人がカワウソに化かされて食い殺される事件が頻発していたとのこと。緒方がカワウソを退治してくれたので人々はこれで安心と胸をなでおろしたとか。(『太平百物語』より)
間抜けなカワウソだ。迫力も何もない。本当にこのカワウソが今まで何人もの人を騙していたのか? 実は模倣犯ではないのか?
つまり、それまで人を騙して食べていたカワウソは別のやつで、緒方が出会ったのはその真似をして現れた「いちびり」のカワウソであったと。
人間界でも人の真似をして後悔する人がいるけれど、カワウソも似た様な事をしても不思議ではないのだろう。
さてさて、ここしばらく動物ネタが続いていましたが、次回からは原点に戻って「京都ネタ」でいくつもりです。乞、ご期待
【言っておきたい古都がある・440】