幽霊・亡霊・死霊・生霊・怨霊(その4)
~怨霊とは何か?~
前回で怨霊というのは不特定多数の人に災いをもたらし、他の霊と違ってかなり八つ当たり的だと断定した。一番タチが悪いのである。
天変地異が怨霊のせいだとされる。天変地異というのはだいたい地震や雷、台風といった自然現象である。つまり
怨霊は自然現象と結びついている。
何故か?
私はこの連載コラムの100回目で「怨霊を作ったのは人間である」という話をした。
貞観5年(863)5月20日に行われた神泉苑に於ける日本初の御霊会でも歌舞音曲の催しがあり、門が開放されて一般の民衆も中に入ることが出来た。つまり、支配階級にとって本当に鎮めなければならなかったのは怨霊の祟りではなく、民衆の不満であったということ。
ここで怨霊発生のメカニズムが浮かび上がってくる。
①政府の政策の失敗や不備などで民衆の不満が燻ってくる。
②そこに大して珍しくもない地震や台風が起きる。
③それに伴い社会不安が起きる。
④政府は民衆の不満が政権への批判になることを防ぐ必要に迫られる。
⑤そのためにどこかに責任転嫁することになる。
⑥そこで誰もが知っている悲運の有名人を出してきて、すべてはその人の霊がやっている事にする。
⑦そして霊を鎮めるための儀式を行うことにする。
⑧かくして一大イベントを開催して民衆の不満のガス抜きを図る。
これを民衆の側から見てみよう。
①暮らしが良くならないので政府に対する不満が出てくる。
②そこに追い討ちで地震や台風が起きる。
③やけくそで何もかも政府が悪いと思う人が増えてくる。
④だんだんと政府に対する反感が醸成されてくる。
⑤そこにすべては某有名人の祟りだという話が出てくる。
⑥その有名人が祟っているのは政府の側に落ち度があるという話になる。
⑦故に政府がその祟りを何とかしろという事になる。
⑧でもって、政府は「何とかします」と言って御霊会というイベントを開催し、民衆は不満の捌け口を与えられる。
政府が金権腐敗だから天変地異が起きるのではなく、政府によって非業の死を遂げた人が祟っているから天変地異が起きている。これは問題のすり替えである。大きな罪を逃れるために当たり障りのない罪を認める。これは昔からある手口だ。
ここで重要なのは民衆がその祟りを信じてくれなければならない、ということ。民衆がこれは怨霊の祟りだと信じる=認定してくれる。これなくして怨霊の存在はない。
災害が民衆によって怨霊のせいにされる。
怨霊を怨霊たらしめているのは民衆ではないのか。
普段は政権批判など口にするのは憚られるが、「怨霊を何とかしろ」という批判は簡単に出来る。支配者側も「はい。何とかします」とへりくだって民衆に頭を下げることが出来る。そして怨霊を鎮める大イベントが行われる。
永久に続く地震や台風はない。自然現象は自然に収まる。故に怨霊の祟りも収まるのである。
怨霊が災害を起こすのではない。
災害が怨霊のせいにされるのである。
これはどういうことか?
答は簡単。
怨霊など存在しない。
あるのは単なる自然現象である。
地震は地震。台風は台風。それ以上のものでも以下のものでもない。
人間が怨霊を作ったのだ。
(つづく)
【言っておきたい古都がある・184】