とかく博打は(その1)
~ギャンブルは人間の悪友か?~
しばらく前、有名(らしい)スポーツ選手が違法のカジノに行っていたとかでニュースになっていた。どうやら外国に遠征した折、彼の地で合法のカジノに入って味をしめ、あろうことか本邦では違法のカジノに通ってお咎めを受けたようである。
べつにカジノに行きたければ香港とかマカオに行ってやればよいのではないのか。ラスベガスなんて超有名だし。
だいたい、私が子供のときは家にルーレットがあって親や友達と遊んでいたぞ。1から36までの数字と0と00の窪みがある円盤をクルクルと回して白い小さな玉を放り込み、それがコロコロコロと転がって入った所の数字が当たりだ。緑色の毛羽立ったシートに数字などが描いてあり、数字のほかに赤か黒かとか、奇数か偶数かとか、色々な賭け方が出来た。チップも五色ぐらいあったし。いちびってルーレットを思いっ切り強く回したら、軽い玉が外に飛び出してどこかへ転がっていき、大慌てで這い蹲って探した経験がある方もおられると思う。
今はゲームというのはパソコンとかスマホとかで中々凝ったのができるそうで、ルーレットのセットなんて売ってるのかな。
スポーツ選手が違法カジノに行くなどという不祥事を二度と起こさないためにカジノを公認せよ、と言ったら袋叩きになるか。。。
昭和の時代、ラスベガスのスロットマシンで大穴を当てた往年の名歌手は絶賛され、バカラで大負けした国会議員はボロカスに非難された。悲喜こもごもである。
しかし、博打というのは昔からある。博打の収益のことを「寺銭」と言うが、これは江戸時代にお寺の本堂を借りて博打の開帳をしていたからだ。お寺というのは寺社奉行の管轄なので、町奉行所では手が出せなかったから。江戸時代の警察官である同心はお寺に踏み込むことは出来ない。これで胴元は安心だし、お寺も場所の貸し賃が入る。共通の利益があったわけだ。
江戸時代のお寺というのは仏事もやったが集会所にもなり学校にもなった。展示場でもあったしカジノでもあったわけである。
日本でも博打なんて大昔からある。天武天皇もやっていたらしい。ただし、ゲームとして楽しむのはよいが、物を賭けてはいけなかったようだ。これでは面白くないかもしれない。
『古今著聞集』から話を拾ってみよう。
惟喬(これたか)親王は双六に勝って小野宮という女性を自分のものにしたそうだが、これなどお金を賭けるよりたちが悪いかもしれない。この惟喬親王というのは文徳天皇の皇子の惟喬親王なのだろうか?
延喜4年(904)9月14日、右小弁清貫が寛蓮法師を呼んで囲碁をしたが、これに中国伝来の織物を四反も賭けた。で、貫蓮法師が勝って織物をせしめたと。
位の高い坊さんも賭けをしていたのである。
承平7年(927)正月11日、右大臣と中務卿が囲碁をしたが、この時お金を賭けた由。
ついにいわゆるギャンブルをするようになったと。政治家も昔から賭けをしていた。その当時に週刊誌や夕刊紙やインターネットがなくて良かった。あったらスキャンダル暴露の古典が岩波書店の全集に入っていたかもしれない。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・188】