幽霊・亡霊・死霊・生霊・怨霊(その3)
~災いをもたらすか否か~
今回は五種類の「霊」がどう違うのかを検証する試みだが、行動範囲から見れば
追跡型=幽霊・生霊。
定着型=亡霊・死霊・怨霊。
となる。
周知の通り、幽霊というのは目指す相手をどこまでも追いかけていく。おおむね個人相手に復讐行為をするのだから相手を逃がすわけにはいかない。1ヵ所に留まっていたのでは仕返しが出来ないのである。
生霊も特定の相手に取り憑くから追跡型になる。その点は幽霊と同じなのだが、姿を見せる幽霊に対して生霊は目に見えない(と思う)。何故か?
生霊の本体はまだ生きている人間である。体は残したままで怨念とか情念だけが相手の所に行くから基本的には見えないのではないだろうか。
さて、どの霊もこの霊も怖い霊ばかりなのだが、幽霊だけは少し違って優しい幽霊もいる。大林宣彦の「異人たちとの夏」とか黒沢清の「岸辺の旅」といった映画に出てくる幽霊は優しい人たちだ。つまり幽霊には色々な性格があって、怖い幽霊ばかりではない。だから時として幽霊というのは喜劇映画に登場したりする。前に紹介したルネ・クレールの「幽霊西へ行く」もそうだし、ティム・バートンの「ビートルジュース」もそうである。しかもこの「ビートルジュース」という作品は「西洋の幽霊は場所に憑く」というのが実に良く分かる作品でもあった。
ほのぼの系の幽霊作品としてはスティーヴン・スピルバーグの「オールウェイズ」が優れている。
小説では有栖川有栖の『幽霊刑事』がある。これは殺された刑事が幽霊になって事件を解決するというもの。翻訳物ではJ・B・オサリヴァンの『憑かれた死』があり、こちらは被害者が幽霊になって自分を殺した犯人を捜すというユニークなもの。
このように、幽霊には優しい幽霊や面白い幽霊がいっぱいいるのに、他の霊たち、亡霊・死霊・生霊・怨霊というのはみんな生きている人間に災いをもたらす怖い人たちばかりではないか。
しかも、幽霊と違って亡霊・死霊・怨霊というのは個人を狙うのではなく、不特定多数を相手にする。中々質(たち)が悪いのだ。
ここで分類に補足が必要になるだろう。
追跡型=幽霊・生霊=個人を狙う。
定着型=亡霊・死霊・怨霊=不特定多数を狙う。
自分が恨む相手に祟るだけならまだマシなのだが、関係ない人にまで災いをもたらすとなると始末におえない。
それでも、亡霊と死霊はまだいい。おおむね特定の場所に居て、たまたまそこに迷い込んできた人間を驚かしたり異界へ引きずり込んだりするだけである。
たとえば平家の落人の亡霊が海岸に居てたまに近くを通る船を襲うとか、「死霊の館」とか言われる家があって、たまたま入ってきた人間を襲うことはあっても、死霊のほうから外に出て行くことはないとか。だから、そこに近づきさえしなければ安全なのである。
ところが怨霊はもう無茶苦茶で、社会全体に祟るのである。そして社会全体に災いをもたらすのだ。いわゆる「天変地異が相次ぐ」というやつで、あんまりではないか。無関係の人まで災害で殺してしまうのである。つまり怨霊というのは
八つ当たり的だ!
菅原道真が大宰府で失意のうちに死んだあと、その怨霊が京の都で地震やら雷やら台風やらを何度も起こしたなんて、やけくそでやってるとしか思えない。
怨霊は特定の地域で無差別に猛威を振るう。
こんな困った存在は他にはない。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・183】