四千年の知恵(その3)
~君子豹変の誤解と正解~
君子豹変
これは一般に「急に態度を変える」という意味で使われている。
それまでは温厚だったのに突然恫喝するとか。
これに関して前回ご紹介した傍若無人の由来についても補足しておく。
荊軻は『史記』の「刺客列伝」に登場するので要するに「暗殺者」なわけだが、実体は決して「傍若無人」ではなかったようである。
酒飲みとつきあう状況でも荊軻は読書を好み、各地の賢人や豪傑・有徳者たちと相結び、やがて当地の実力者の田光に賓客として遇された。
酒飲みではあったが読書人でもあったと。
「傍若無人」の由来になった行動はお酒を飲んで羽目を外したときのもので、日常的にそうだったのではないようだ。
荊軻さん、とんだ濡れ衣ですね。
他にも、剣術論のことで蓋聶(こうじょう)という者と言い争って喧嘩になりかけたが、蓋聶が荊軻を睨むと荊軻はすぐに退散した。
あるいは邯鄲を訪れたとき、双六の規定をめぐって魯句践(ろこうせん)という者と双六盤の道争いで喧嘩になりかけたが、魯句践が凄んで荊軻に対して大声を出すと荊軻はすぐに退散した。
こうして荊軻は臆病者と笑われたが、荊軻はいたずらに些細な事で命を落とす危険を冒すことはしなかったのである(『史記』「刺客列伝」)。
要するに『史記』が荊軻について記している事の眼目はこの「些細な事で命を落とす危険を冒すことはしなかった」という部分だろう。大きな任務のために命を捨てなければならないからこそ命を大切にしていた。
それがどういうわけか「些細な部分」である傍若無人の話が有名になってしまった。
ちょっとお気の毒であるな。
命を大事にして臆病者と笑われても耐えて、ついに秦の始皇帝暗殺に赴く。
まあ、失敗したけど。
しかし一度決意すると「壮士ひとたび去って復た還らず」で暗殺者に「変身」した。
君子豹変かな。
現代でもある。
東日本大震災から2年の日本政府主催追悼式で、中華民国(台湾)の代表が会場での献花で名前を呼ばれる「指名献花」に加えられた事に中共(中華人民共和国)が反発し、追悼式を欠席した。
それまではしおらしく「追悼に来ました」と言っていたのに、気に食わないことがあると態度を変えて欠席する。
中国四千年の知恵、君子豹変である。伝統が生きていますね。
ところで、この「君子豹変」というのは本来は「急に態度を変える」という意味ではなかった。正しくは
君子は間違いはすぐに改める
という意味である。おそらく今でも中華文化圏ではこの正しい意味で使われているのではないだろうか。私は日本だけが間違って使っているのではないかと思ってしまうのである。
大陸由来ではない言葉でも同じことがある。
他力本願。
これは本来は「他人任せ」という意味ではない。しかし、浄土真宗の人たちがどんなに頑張ってもこの言葉が正しい意味で使われる日が来ることはないだろう。
で、先ほど紹介した追悼式での中共の態度だが、正しい意味で解釈しても成り立つ。つまり「こんな所に来るのではなかった」と思って、その間違いをすぐに改めたのである。
やはり四千年の知恵なのだ。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・343】