四千年の知恵(その20)
~酒飲みは言論の自由を守る~
さて、前回まで出記したように、趙匡胤さんはそれまでの「伝統」を破って、自分が皇帝になっても前王朝の人たちを殺したりはしなかった。
中国の常識では考えられないことである。
これはその遺訓にも現れている。
趙匡胤に皇位を譲った柴氏一族を子々孫々にわたって面倒を見ること。
さらにもうひとつの遺訓。
言論を理由に士大夫(官僚や知識人)を殺してはならない。
この2つの遺訓が歴代の宋王朝の皇帝たちによって守られた。それは南宋が滅亡した崖山の戦いで柴氏の子孫が戦死していること(前王朝の子孫がちゃんといた)、政争で失脚した官僚(新法旧法の争いでの司馬光や対金講和派の秦檜など)が処刑されず、政局の変化によって左遷先から中央へ復帰していることなどで明らかである。
趙匡胤さんは「民主主義」なんて言葉は知らなかっただろうが、やってることは民主主義ではないのか。
言い出した本人が死んだ後も、歴代の宋王朝でその方針が受け継がれていたというのが凄い。だいたい改革を推進していたご本人が死ねば全部元に戻ったりするものなのであるが。
ただ、趙匡胤さんが「言論の自由」を認めた理由は、決して士大夫を守るためではなく、自分を守るためではないだろうか。
「言論を理由に士大夫を殺してはならない」というのは人権を守ったのではない。
酒の上で暴言を吐いた自分が咎められないようにしたのである、きっと。
自分がうっかり「言ってはならない事」を言ってしまった時、「酒の上での事ですよってに」では通らないかもしれない。
その時、「言論を理由に人を殺してはいけない」というルールがあれば便利ですね。
酔いが醒めてから、自分が何を言ったかの記憶が消えていたとしても、これなら心配無用。
「言論を理由に人を咎めてはいけないのだよ」と逃げられる。
趙匡胤さん、酒飲みは言論の自由を守るのですねえ。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・360】