四千年の知恵(その14)
~昔の賢者は欲がなかった~
五里霧中。
物事の様子や手掛かりがつかめず、方針や見込みが立たず困ること。また、そうした状態。五里にもわたる深い霧の中にいる意から。事情などがはっきりしない中、手探りで何かをする意にも用いる。
張楷という賢者は皇帝じきじきに「私のために政治を司ってもらいたい」という詔勅を下されたこともあったのだが承諾せず、あくまでも在野で学問を続けた。
この張楷さん、「五里無霧」という術を使ったとされている。
つまり五里四方に濃い霧を発生させて姿をくらますわけだ。皇帝の使者が張楷さんを訪ねて行っても霧のために居所が分らない。それほど「政府の高官」になどなりたくなかったと。現代とはエライ違いだ。賢者でもないのに高官になりたがる人がいっぱいいるもの。
ところで同じ頃、「三里霧」という術を使う盗賊がいた。張楷さんよりちょっとスケールが小さいな。
この盗賊が捕まった時、「三里霧の術は張楷に教えてもらった」という嘘の自白をしたからたまらない。張楷さんまで捕まって牢屋へ入れられてしまった。
しかし流石は張楷さん。獄中でも書物を読みふけり、『尚書』の注釈書を書き上げたのである。
才人は違いますね。刑務所の中でゆっくりと研究をしたと。きっと独房だったのだろう。
幕末の日本では吉田松陰がやはり牢屋の中で本を読んで勉強している。
やがて事件に関連する証拠が無いということで身の潔白がたち、張楷さんは2年後に釈放されて家に戻ることを許された。
良かったですね、たった2年で冤罪が証明されて。戦後の日本ならもっと長くかかるだろう。30年以上とか。
その後、また皇帝から登用の辞令が出たのだが、張楷さんはやっぱり辞退をし続けた。
そして70歳の生涯を全うしたという。
なるほど、うっかり辞令を受けたら政争に巻き込まれて首を刎ねられたかも。高官になるよりも長生きしたかった。
現代の日本でも、かつて「平成」という元号を発表した官房長官がその後で総理大臣になったから、「令和」を発表した人も総理大臣だという人がいる。しかし、「平成」の人は総理大臣在職中にお亡くなりになっているわけだ。と、いうことは、「令和」の人も総理大臣になったら同じ道を辿るのではないのか。都合の良いことばかり見ていると悪い部分に気づけないので注意しよう。五里霧中ではなく、一寸先は闇なのだ。
しかし、五里霧の術を使えたという張楷さん、冤罪で捕まる時もこの術で逃げればよかったのではないのか。あっさり捕まっている。このあたりの事情が五里霧中。
ひょっとしたら、「自分は潔白である。それは必ず証明されるはずだから恐れることはない」と思って、堂々と捕まったのかもしれない。
だとすれば自信満々というか泰然自若というか。
あるいは、「しゃーないなあ」と達観しておられたのだろうか。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・354】