鮒ずし 四方山話 1
鮒ずしをはじめて商品化したところが、大津市の「元祖阪本屋鮒寿司」である。
その創業は明治二年という。店内に入るとあの発酵臭でむせ返るほどで、、その店内の壁には、元祖を名乗るに相応しい年代ものの賞状が壁狭しと、誇らしげに掲げられている。
その阪本屋で永年鮒ずしの職人として勤め、若手の指導をしていたのが、旧知の中川さんである。父の知り合いだったことから、私の学生時代を支援してくれることになる麻雀仲間として知り合った。
勿論その頃は、ジャン卓の傍に置かれる鮒ずしに手だにつけなかった。否つけられなかった。
牌を握りながら、コップ酒で鮒ずしをつまむものだから、臭いに耐えながらの戦いだった。
そればかりではない。その頃興味もなかった職人談義を繰り返すのである。
「はよ すててや」と、麻雀の進行をたびたび促すのは、いつも私であった。
職人談義はなにほども記憶に残っていないが、今になって、しまったなぁと思っている。
「なんでそない高いんや」
「手間かけるから、高うなるんやろ、値はワシがどうこう言えへん。
立派な賞状ようけあるやろ、そやからや、あっははーーー」
忘れてないのはこのようなやりとりで、何を話しても最後は、「あっははーーー」と高笑いする気質だったことを思い出す。
私が鮒ずしをその気で食べ出すようになるのは、それから10年も後のことである。
一匹一万円もする鮒ずしが、あのジャン卓の傍にあったかと思い出し、悔やんだ。
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