西陣の日蓮六山の桜たち / 妙顕寺
妙顕寺の紅しだれ
その宝鏡寺を東へ50メートルほど行くと・・・・・・二本の紅しだれの若木が出迎えてくれる。
妙顕寺の墓地には「尾形光琳」の墓碑が立っていると石碑が知らしている。
その二本は薄紅色と桜色の枝垂れ桜である。心が和んでくるではないか。
山門を潜り境内に入ると、大覚大僧正の650年遠忌の報恩として本堂の大屋根の改修工事をされていた。
境内にはソメイヨシノが満開見頃に咲き放っている。
花に包まれた鐘楼の東の小路向かいには「千」の表札がかかっている。あたりは閑静なところである。
本堂の北裏にまわると・・・またまた桜である。言葉を失いそうな薄紅色にうっとりするばかりである。
ここには花見客などはいない。
妙顕寺の由来
四海唱導妙顕寺は山号を具足山、又の名を龍華といって、日蓮大聖人の孫弟子になる、日像聖人が六百六十余年の昔、創建(1321)された関西法華宗団の根本をなす由緒ある寺で、大本堂の両柱に掲げられた聯に「宗祖直授の大導師として、妙法の教を弘め、法華宗号の発祥をなし、勅願寺として四海唱導の公許を誇る、日本国中の宗門の棟梁の零場である」(文意)とある通り、創立以来法華下第一の誉れを伝え、都の法華門下派廿一本山(現在は十六)の正に草分けであり、中心的存在として今日に至っているが度々の法難をうけ、殊に天文の法乱では破壊的な打撃を受け、信長秀吉等の弾圧もあり、寺地も変ること四度と伝えられます。
明治に入って法華各宗派が大合同し、身延山を祖山と仰いで日蓮宗が結成されてからは、その大本山として全国に三百余の末寺を統率していたが、昭和十六年の制度改革によって、全ての末寺を教団に解放し、今は名称のみを伝えているのが現状であります。(妙顕寺HPより転載)
〒602-0005 京都府京都市上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町514
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