西陣の日蓮六山の桜たち /大本山 妙蓮寺
通り名どおり、寺の内通も寺院の銀座である。近隣には、宝鏡時、妙願寺、妙顕寺、慈受院、立法寺などなど、お参りするところに事欠かない。
ここ妙蓮寺も、住宅の密集する西陣の小路を歩いてこそ、出会えるお寺さんである。
寺の内通を堀川通から西へ入ってすぐの東行き一方通行の道路に面している。
この日は大法要が執り行われていて、境内に入ると、読経が響き渡り荘厳な空気が流れていた。
やっぱり京都はいいなぁ。僧侶の数も多く読経が和音で唱えられていた。
法華経の大太鼓の音も体に伝わってくる。
10月から咲きだすお会式桜もほどほどに本堂に向かった。
境内の桜のほとんどはソメイヨシノである。
石畳沿いに本堂の周りを一周できるように配されている。往年の映画俳優「月形龍之介」の墓碑が、
奥の墓地にある。前に取材したことがあった。
五色の幕が、ソメイヨシノの桜色とコントラストを為している。一際桜色が引き立っていた。
空を見上げ大きく深呼吸をしてみた。いい気分だった。
大本山 妙蓮寺
〒602-8418
京都府京都市上京区寺之内通大宮東入妙蓮寺前町875
075-451-3527
http://www.eonet.ne.jp/~myorenji/
地図
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大本山妙蓮寺は、宗祖日蓮大聖人より帝都弘通宗義天奏の遺命を受けた日像聖人によって、永仁2年(1294)に創建された。日像聖人が遺命を果たすため鎌倉より京都へ上られた時、五条西洞院の柳酒屋は深く聖人に帰依し、未亡人は邸内に一宇を建立して聖人を請じ、卯木山妙法蓮華寺と称した。これが妙蓮寺の縁起である。(柳の字を二つに分けて卯木山という。)
その後、たびたびの法難にあったが、応永年間(1420年頃)本勝迹劣、本迹一致の論争を契機に妙顕寺を退室した日慶聖人によって柳屋の地に本門八品門流として再興された。その後、寺域を堀川四条に移し、皇室ならびに伏見宮家と関係深い日応僧正を迎えるにおよび、皇族始め足利将軍義尚等の参詣多く、また今出川家の公達日忠聖人は、三井寺より改宗して当寺に投じて学室道輪寺を創立し、本化教学の道場を開く。ここにおいて当寺の法運は隆昌を極め、山門の様式も格式高いものとなった。
天文5年(1536)には、法華宗の隆昌を妬む比叡山天台宗を筆頭に諸宗の僧俗10万人によって襲撃され、妙蓮寺をはじめとする日蓮聖人門下21本山は、ことごとく灰燼に帰し堺に立ち退いた。
天文11年(1542)大宮西北小路に復興され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉の聚楽第造営に際して現在地に移転した。当寺は、1k㎡の境内に塔頭27ヶ院を有する大寺院であったが、天明8年(1788)の大火によって、そのほとんどが焼失し、わずかに宝蔵・鐘楼を残すのみとなった。
寛政元年より漸次復興して、現在に至り、塔頭8ヶ院を残す。
本門法華宗大本山 妙蓮寺HPより転載