祇園祭 お迎え提灯のすべて 前編
この道標にはじめて気がついた。四条通の南北、南座の前に建てられていた。
納得のいく石標であるが、他所の人には親切になるだろう。京阪四条駅が祇園四条駅に変えられたのに等しい。
八坂神社の10日は神輿洗いの神事があるが、その神輿洗いの一足前に、石段下を繰り出すのが「おむかえ提灯」である。
4:30スタートの予定と聞いているが、烏丸を慌てて後にし、石段下に向かった。
ふれ太鼓が聞こえている。なんとか出発に間に合った。ベストポジションとは言い難いが、石段下の四条通南側の歩道沿いに屈み込んだ。
晴天に恵まれ写真日和なのだが、行列奉仕の方々にはさぞ大変な一日になるであろう。
祇園万灯会の大きな幟と提灯の先導に続く筆頭は、祇園囃子である。
毎年持ち回りで鉾町のお囃子の奉仕である。平成23年は「放下鉾」のお囃子だった。
鉾の上ではなしに、練り歩いては普段行わないのだから、当番となれば練習も必要なのだろう。
山鉾巡行の日には綾傘鉾を除けば見られない光景である。
小武者組の朱の提灯を掲げ、武者組の御神灯が続く。
腕白顔の元気な顔も颯爽と凛々しいが、夜半8時頃に石段下に着く頃にはどんな表情になっているだろう。
大人でも強行軍だと思うが・・・・・幼子には精進修行かも知れない。
少年武者(鬼武者)の次なるは少女。京舞篠塚流の奉仕で「小町踊」の行列である。
江戸時代初期、七夕の日に少女が舞った元禄時代の風流な舞が「小町踊」。
七夕の日に踊られる西陣の白峯神宮でも見るものと同じなのだろうか。
小町踊の御神燈を振り向いて見ると、四条通を西へ、氏子地域に向かって進んでいる。
祇園萬灯会の御神燈を後ろから眺めると、商店などのサポートが、その風流の提灯に記された屋号でよくわかる。
皆で支えあい盛り上げられているのが、祇園祭であり、神を氏子域へお迎えする歓迎の「お迎え提灯」なのである。
泥臭い財政的なトラブルが基で、鷺舞保存会と祇園祭とは縁遠くなったと聞こえてくる。
純白の鷺のように行かないようだ。それに変わり、子供達で鷺踊りが継承されるようになったという。
手に小太鼓や笛、頭は真っ赤の熊かつらを被lり、腰に榊と「蘇民将来之子孫也」の護符を差していた。16日には八坂神社にて鷺踊が奉納され、24日の花傘巡行にも参加している。
続いて、頭にリボンをつけた涼しげな浴衣姿の一行が続く。「祇園祭音頭」の万灯である。
揃いの浴衣の柄は八坂神社の神紋が染め抜かれている。
お迎え提灯の殿(しんがり)を勤めるのは馬長稚児(うまおさちご)の行列である。
石段下の空気が引き締まる。それは響き渡る馬の蹄の音の所為である。
綾藺笠(あやいがさ)のようなものを被り、華やかな水干姿で騎乗の稚児、額に黒の位星が二つ描かれていた。その向かって左手に付き添う浴衣姿の女性は稚児の母である。少将心配顔にも見えなくはない。
山鉾町の生稚児は鉾町と養子縁組を為す。つまり、縁組後の稚児は鉾町の神宿す子なのである。
馬長稚児は鉾立ての日に鉾町で披露される生き稚児とは明らかに違う。
「馬長」とは、祇園御霊会の神事に、馬に乗って社頭の馬場を練り歩いた者で、小舎人童(こどねりわらわ)などを美しく着飾らせていた名残であると聞く。
お迎え提灯は、子供が主役で、馬長稚児以外の鬼(児)武者に小町踊の少女、鷺踊、しゃぐまなど、どれもが芸能型、行列型の稚児行列といっても間違いでないようだ。
行列は出発したばかりである。