知られざる火のドラマか!? 伏見の火祭 / 三栖神社炬火祭
伏見は京阪中書島駅を目標に出かけた。
竹田街道の中書島から京橋の間で炎が舞い踊ると聞いた。
直径が120センチもあろう大きなタイマツを燃やし練り歩き、
神輿を先導する半時間のドラマである。
見物場所は中間地点の伏見土木事務所辺りの京橋寄りに陣取った。
練り歩いてきたタイマツが、この辺りで回されるからである。
20時を過ぎると、ふれ太鼓の音が鳴り響きだした。
目を音のするほうに向けると、高張り提灯が掲げられている。
その後ろで火の手が揺らめき、剣鉾が光った。
たちまち、漆黒の闇に炎が立ち、天に向かうかのように火柱をみせる。
火勢は、信号機や道路案内板などを飲み込むかのようである。
二本の丸太に結ばれ横たわった大タイマツが曳かれ、
その背後から三栖神輿が台車に乗せられ進む。
。
タイマツであるが、古より三栖村では、「松明」ではなく、「炬火」と書いている。
なぜなら、三栖のタイマツは「葦」で作られているからだそうだ。
三栖周辺は宇治川や、かつて横大路沼などがあり、
「葭(よし)」が特産で、簾(すだれ)や蒸篭(せいろ)の製造が盛んだったところだと聞く。
「葭」で作られたタイマツは「松」より巨大な炎になるらしい。
正に書いて字の如く「炬火」、
芯の直径が4尺(120cm)、火をつける頭部が直径13尺(4メートル) 重さ800kgというが、
更に年々巨大化しているらしい。
立てたままでは、動かせないので、横に寝かせ、32人の男衆で担がれる。
ぶっといタイマツで、「巨大な火」であった。
途中、神輿は御旅所へと向かうが、タイマツは京橋の橋上へと。
タイマツを追う年配者が何やら拾っている。
燃え残りを持って帰ると火事に会わないと言い、丁寧に、授かりものを手にした。
タイマツが回された。そして水がかけられている。
それでも火勢は衰えず、夜空を焦がしている。
終着点京橋の橋上で、横たわっていたタイマツが建てられる。
これぞ聖火、否、”神火”の姿であろうか。
三栖村で受け継がれてきた炬火(たいまつ)の由来は・・・
「のちに天武天皇となった大海人皇子が、天智天皇の子・大友皇子と戦った壬申(じんしん)の乱で、援軍が三栖を通過した時、かがり火を焚いて村人が歓迎した」
とか
、
「天武天皇が大津京への行幸にあたり立ち寄られた際、暗夜を照らした」
などの伝承が残っている。
定かな文献は見られないらしいが、
いづれにしても、この巨大な火なら、どこからも誰もが見えたであろう。
10月13日(日曜日) 神幸祭(炬火巡行)/ 10月20日(日曜日) 還幸祭
この次は、宵宮から神幸祭も、還幸祭までも通しで見て、この祭礼の全貌が知りたくなった。
三栖神社 京都市伏見区横大路下三栖城ノ前町82
三栖神社お旅所(金井戸神社) 京都市伏見区三栖向町773-1
http://www9.plala.or.jp/fusimi/maturi/maturi_in.html