新緑の寂光院へ向かう / 非公開文化財特別公開
大原の里あるき、道しるべを見ると・・・ここ
つい、立ち寄らざるを得ない気分にさせられる。
数軒の山菜佃煮や民宿、味噌、柴漬けなどの土産物屋が、里の住人で商われている。
素朴な人柄に接することができる。是非声をかけるべきであろう。
寂光院の前までやってきた。佃煮の試食に手をだした。
老婆は、小皿にご飯を盛り、山菜の佃煮や柴漬けをのせてくれた。
勿論、いただく。 美味い! デバ地下より美味い! 素朴な里の味である。
参拝の帰りに買うことを約し、客殿の受付で拝観料を志納する。
平成12年5月9日未明、心ない者の放火により、焼失した本堂と地蔵菩薩像が再興されているはず。
新緑のもみじの目映さが、期待感を更に盛り上げる。
見事に再興されていた。
色あざやかな衣装をつけられた地蔵菩薩像を目の当たりに見て、
黒焦げになって収蔵庫に安置された地蔵菩薩像が、なおさら痛ましく思えた。
【新緑京都】非公開文化財特別公開 / 寂光院
桜の花吹雪がハナミズキの開花を誘い、百花繚乱から新緑へと姿を変えていく美しい京都です。
そんな季節に、普段見ることのできない文化財を広く一般に公開する「京都非公開文化財特別公開」が開催されます。
新緑の京都で、「文化財」の魅力を通じて千年の歴史を感じていただける絶好の機会です。
■見どころ:旧本尊地蔵菩薩立像(重文)、本尊地蔵菩薩立像、建礼門院御庵室跡、
茶室「狐雲」、書院襖絵、他
■開催期間:2014年4月26日(土)〜5月6日(火・祝)
■拝観時間:9:00〜16:00
■拝観料 :大人 800円 中高生 400円
■お問合せ:公益財団法人京都古文化保存協会 事務局 TEL.075-561-1795
■お問合せ:寂光院 TEL.075-744-3341
寂光院
京都市左京区大原草生町676
075-744-3341
寂光院略縁起 /[寂光院の歴史] オフィシャル転載 http://www.jakkoin.jp/rekishi_.html
寂光院は天台宗の尼寺で、山号を清香山、寺号を玉泉寺といい、寂光院は玉泉寺の子院であった。推古2(594)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる。
当初の本尊は、聖徳太子御作と伝えられる六万体地蔵尊であった。鎌倉時代に制作された旧本尊(重要文化財)は、平成12年(2000)5月9日未明に発生した不慮の放火により焼損したため、文化庁の指導に受けて財団法人美術院によって修復されて、境内奥の収蔵庫に安置されることとなり、現在は美術院によって模刻された本尊地蔵菩薩像が本堂に安置されている。
寂光院初代住持は聖徳太子の御乳人であった玉照姫(たまてるひめ)[敏達十三(五四八)年に出家した日本仏教最初の三比丘尼の御一人で、慧善比丘尼という]で、その後、代々高貴な家門の姫君らが住持となり法燈を守り続けてきたと伝えられるが、史料が湮滅して名前は伝わらない。
寂光院では阿波内侍(あわのないし、藤原信西の息女)を第2代と位置づけている。崇徳天皇の寵愛をうけた女官であったが、出家のあと永万元年(11165)に入寺し、証道比丘尼と称した。出家以前は宮中にあった建礼門院徳子に仕え、寂光院のある草生の里では柴売りで有名な「大原女」のモデルとされている。
第3代の建礼門院徳子(平清盛息女、高倉天皇中宮、安徳天皇母)は、文治元年(11185)年9月に入寺し真如覚比丘尼と称した。源平の合戦に敗れ長門国壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔いながら、この地に侍女たちとともに閑居して終生を過ごされた。
焼失前の本堂の内陣および柱は、飛鳥・藤原様式および平家物語当時の様式を改修の度ごとに残しながら後世に伝えられたもので、外陣は慶長8年(1603)に豊臣秀頼が片桐且元を工事奉行として修理させた桃山様式のものであった。また、その後江戸時代初頭には、豊臣秀頼や淀君、徳川家康らが再興に手を尽くした。焼失後の現在の本堂は古式通りに忠実に復元したものである。
本堂前西側の風情ある庭園は『平家物語』にも描かれるもので、心字池を中心に千年の姫小松や汀の桜、苔むした石のたたずまいが好ましい風情をかもしだしている。
姫小松は、『平家物語』灌頂巻の大原御幸に
池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる
中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色
と伝わる松である。文治2年(1186)の春、建礼門院が翠黛山(本堂正面に対座する山)の花摘みから帰って来て、後白河法皇と対面するところにも登場する。