新京極六角の落語発祥の寺に入る/誓願寺
新京極を蛸薬師から北へ・・・六角通にくると「ろっくんプラザ」
腰を下ろせる、せせらぎが作られた小さな公園になっているところだ。
腰を下ろせる、せせらぎが作られた小さな公園になっているところだ。
その真正面にあるのが「誓願寺」である。
清少納言、和泉式部、一遍上人、策伝日快上人、梅扇(篠塚文三郎)などに縁があり、
清少納言、和泉式部、一遍上人、策伝日快上人、梅扇(篠塚文三郎)などに縁があり、
円光大師(法然)霊場第二十番となる浄土宗の寺院である。
入っていいのかどうか・・・恐る恐る石段をあがり、本堂に足を踏み入れた。
ご本尊の阿弥陀如来様が、いいよと迎え入れてくれた。
「女人往生の寺」「落語発祥の寺」「芸道上達の寺」としても広く信仰を集め、
今も変らず京都の街の真ん中で落語会などに寺を開放し庶民と交わり、
暮らしの中にあるお寺さんとして親しまれている由縁なのか。
「女人往生の寺」「落語発祥の寺」「芸道上達の寺」としても広く信仰を集め、
今も変らず京都の街の真ん中で落語会などに寺を開放し庶民と交わり、
暮らしの中にあるお寺さんとして親しまれている由縁なのか。
堂内で振り向くと・・・落語の元祖となる日快上人や柳家小さんの縁のものが見られた。
策伝上人は、ともすれば小難しくなりがちな「お説教」に、ふとした笑い話を含め、人々に分かりやすく、また親しみやすくお話になられました。またそれらの話を集めた「醒睡笑(せいすいしょう:八巻)」という書物を著し、それが後世、落語のネタ本となったことで「落語の祖」とも呼ばれ、それにより誓願寺も落語発祥の地として知られております。(誓願寺HPより)
世阿弥の作と伝えられる謡曲「誓願寺」は、和泉式部と一遍上人が主な役となって誓願寺の縁起と霊験を物語ります。
この謡曲の中で、和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることが、能楽をはじめ舞踊など芸能の世界で尊崇され、江戸時代から誓願寺へ参詣するその筋の人が数多くありました。特に舞踊家が多く、文化・文政・天保(1804-44)のころに京都で活躍した篠塚流の祖・篠塚文三郎(梅扇)は、幸若の系を引く能楽的な色彩と歌舞的な色彩を調和させた優れた芸風を示したといわれ、天保年間には山村舞とともに京阪で大いに流行しましたが、彼ら舞踊家の中に誓願寺の和泉式部信仰がありました。(誓願寺HPより)
手狭な境内なのだが、地蔵堂も鐘楼もあり、上手く配置されている。
鐘楼の後ろにみえる建物は・・・松竹の映画館である。
鐘楼の後ろにみえる建物は・・・松竹の映画館である。
よく通る場所だが中に入り今まで参拝することがなかった。
本堂の石段から新京極を見下ろし、これからここを通るときは参拝してから通過することにしたい。
本堂の石段から新京極を見下ろし、これからここを通るときは参拝してから通過することにしたい。
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