嵯峨祭はこんなのだ!
剣鉾こそ 祇園祭の山鉾のルーツで、 神輿の先導をして、沿道を清める剣なのだ。
大堰川左岸 嵐亭前に居並ぶ剣鉾が、神輿の到着を待って、左岸を指し鉾で練る。
鉾差しさんも大変だ。右ー左ー右・・・・・・
長さ6メートル 重さ40キロ の重心を取って 倒さず前へ進まなくてはならない。
指し鉾を追うように神輿が続く。
観光メニューにはないだろう嵯峨祭に遭遇した嵐山観光客にとってはサプライズである。
渡月橋袂の外人ストリートミュージシャンのLive演奏とは訳が違うはずだ。
剣鉾・神輿は、渡月橋を背に嵯峨釈迦堂門前西に位置する「愛宕野之宮両御旅所」に向かう。
血湧き 肉踊るの時空だ! おかえりになる神様を揺さぶる最後の神輿振りとなる。
観衆の取り巻く中、舞殿の周りを荒々しく練り担がれる。
左/大覚寺勅使門(正午前 神輿が練りこむ) 中央/愛宕野之宮両御旅所(神幸・還幸) 右/野宮神社
愛宕の麓、嵯峨の春は終わりを告げ、初夏の声がしている。
春祭最後の嵯峨祭 といえば→→エッセイ/権者の栄枯盛衰、民の祭りはしなやかに強かに
戦国時代、天文二十二年(1552)にはじまったと伝わる嵯峨祭。
神仏と民衆とが一体となり、大覚寺統の率いる嵯峨の里に国家を形成していたように思える団結が見られる。今も田畑と茅葺が残る愛宕の麓は不思議な里祭を守っている。
神仏と民衆とが一体となり、大覚寺統の率いる嵯峨の里に国家を形成していたように思える団結が見られる。今も田畑と茅葺が残る愛宕の麓は不思議な里祭を守っている。
さぁ、明日は嵯峨祭に出かけよう!
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