京の沙羅双樹を愛でる
苔の上に落ちた白い花に諸行無常の響きあり
今の今まで、平家物語で暗記した沙羅双樹と、仏教の三大聖樹のひとつ沙羅の樹の花が同じものとは思っていなかった。
その所為で、朝からささいな口論が始まった。
元は、妙心寺東林院の沙羅双樹を見に出かける日の話が始まりで、沙羅の花は淡い桃色か白色かが争点となったのである。
小生は、十分な自信を持って、沙羅の花は淡い桃色であると弁を揮う。
以前タイに旅したとき、バンコクで沙羅の花を見たからだ。それまで熱帯モンスーン気候の地域を旅した時にも見たことがなかったから、その沙羅の花を鮮明に覚えている。淡い桃色の花弁が、白いマシュマロのような膨らみを囲み、
その淵に黄色のめしべをつけていた。今までに見たことのない種類の花である。
喜び勇んで、いくつもの花をつけた花房の蔓状の先を顔に寄せて、写真を撮った。
「いいものをご覧いただけます。お釈迦さんの花です。これが6年ぶりに咲きました。じっくりとご覧ください。咲いた年の一番綺麗な時に来られた皆さんは、きっとお釈迦さんが護ってくださるでしょう。」
タイではその花の名は、トン・サーラー・インディアだと、ガイドも嬉しそうに案内してくれた。確か、ワットポー(寝釈迦寺)の敷地内の仏塔の立ち並ぶところで、一際大きなラーマ四世などの仏塔が一番美しく見える場所あたりであった。
あの花が、釈迦入滅を聞きつけ集まった者たちの見守る中、開花し、釈迦の死を悲しみ無常を伝え、与えられた一日だけの生命を精一杯咲くことを教えている花かと、しげしげと見つめていた。
妻は、平家物語の出だしを発した。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす 奢れる人も久しからず ただ春の夜の夢の如し 猛き者もいつかは滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ」と。
朝に咲いて夕べに散り、人生の短さ栄枯盛衰の早さの無常の如く、白い花を首から落とすのとの論をなし、お寺さんにはピンクの沙羅の花などないと言う。
白い花を着ける沙羅の樹なら、家にもあったハウスツリーと一緒やないか。
園芸屋で売っている沙羅とお釈迦さんの沙羅とは違う、との弁を小生は返す。
結局、あれこれ調べることになり、笑い話となった。
仏教の三大聖樹は、誕生の無憂樹、成道の菩提樹、涅槃の沙羅双樹である。
沙羅双樹はフタバガキ科の熱帯樹で、温帯の日本にはなかったが、先人はインドの沙羅双樹のこのはかなさの教えを、ツバキ科の夏椿と同じくした。
この夏椿、樹皮に美しい斑紋を持ち白く可憐な花を咲かせるが、咲いた花はその日のうちに雨にポトリと落ちる。これをもって日本では、沙羅双樹と呼び習わすことが定着し、日本の仏教寺院においても沙羅双樹としている。
そして、タイの沙羅の樹(トン・サーラー・インディア)もタイ仏教における沙羅であった。タイ仏教では、釈迦はこの木の下で誕生し涅槃していると教えられている。
では、本家インド仏教のお釈迦さんの沙羅の樹はというと、白い花であるが夏椿とは樹形も違う。京都では府立植物園にあるが花は咲いていないようだ。花を着けた植物園は、びわこ水生植物園水の森で、平成17年2月初めて咲いたとあった。
ジャスミンのような香りを放つ小さく白い日本では珍しい花だという。
こうなれば、小生は日本仏教とインド仏教にいう沙羅双樹を見ておかなければならない。
京の沙羅双樹なら、妙心寺東林院、城南宮、真如堂、法金剛院、宝泉院が挙げられる。
非公開の東林院方丈庭園では、毎年6月中頃から月末まで、梅雨の最中に咲き散る姿を、「沙羅の花を愛でる会」と銘うって催されている。これを逃す手はない。
樹齢300年の沙羅双樹の大木もあるという沙羅林から落ちた苔の上の白い花に、釈尊を感じ取って見ることにする。
古代インド (NHK高校講座 世界史)
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/archive/resume004.html
平家物語『祇園精舎・冒頭』(祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり)のわかりやすい現代語訳
http://manapedia.jp/text/2321
黄金の涅槃像 (和田フォトギャラリー)
http://wadaphoto.jp/kikou/taigold3.htm
夏椿 (季節の花300)
http://www.hana300.com/natutu1.html
東林院 (京都観光NAVI)
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000180