おかめ桜に千本釈迦念仏
散り逝く花とて、礼は散らさず
例年より早く京の桜の開花がはじまり、京の春を告げる近衛邸址の糸桜は満開見ごろを迎えている。それどころか都の枝垂れ桜や桃桜が、あちこちで枝を桜色に染めている。
街中を行き来していても、桜色が自然と気分を大らかにさせ、足取りを弾ませる。
春分の日の前後は墓参りや梅見に桜の下見、夜は花灯路にと観光客さながらで大忙しの日程消化である。
そんな中で、観光客や若者の自分勝手が目につく。
携帯電話片手に、花のオブジェや桜の名木を前に突っ立ったままメールを読み、送信している若い女性がいる。
その真後ろでは、カメラを構えシャッターを切ろうとしている人が、しばらくの間我慢強く待ち続けている。
更に、そのカメラのレンズのまん前を素知らぬ顔で通り過ぎてゆくのが観光客一行である。カメラを構えている人の後ろには、レンズと被写体との倍以上の距離が開いていた。
このカメラマンは控え目であったが、中には狭い通路に三脚を据え、我が物顔に写真を撮るアマチュアカメラマンも当世は多くなっている。
個人主義の自分勝手が大手を振ってまかり通るご時世なのかもしれない。夢中の余、そのようなことに為らぬよう小生とて注意しなければならない。
ところで、小生の知る京都人は、携帯メールの送受信も携帯電話での通話のときも、今居るその場所から移動して脇や隅に寄り行う。
対面している場合も、ひと声「失礼します」と声をかけ、電話をとるのを常識としているのだ。
また、カメラの前を遮断して通ることは避けるか、遮断せざるを得ないときは、一度軽く立ち止まり、声を掛けるか、会釈してから通り過ぎる。
小生の知る京都人でそのようにしない人を知らない。
京都人でそれができない人は、陰で、「お里が知れる」とか、「出自が分からぬ」と、言われる。
その意味は、気配りをしつつ、人をもてなし楽しませる躾が為されていない育ちであると、嘲笑されているのである。
自分の為にではなく、人の為にが肝要である教えで、転じて自分に還ることの教えである。
取るに足らないこんな基本的生活習慣が戦後教育から欠落している証でもある。
これさえ出来ずして、功徳を施すことなど程遠く、到底考え難い。
しかし、世情を憂いてばかりいても何も生まれはしない。
人にされて嬉しいことを示すことにより、気づける機会を増やす他ないのであろう。
祝日明けの22日、阿亀桜の下見を兼ねて、千本釈迦堂で修められている遺教経会(ゆいきょうぎょうえ)の法要にお参りした。
特段に信仰をしているわけではない。鎌倉時代の読経の音階で唱えられる「声明」が聞けるからであった。
兼好法師(1283年〜1350年)の徒然草に、「千本の釈迦念仏は文永年間如輪上人はじめけり・・・」と記されるほどの歴史を持つ伝統行事である。
春の彼岸に相応しい予定だと自画自賛した。
その声明は仏遺教経を訓読みで読経し、「大原声明千本式」と呼ばれる独特の節回しの大念仏で、千本の釈迦念仏とも呼ばれ、つとに珍しいものらしい。
仏遺教経は、釈迦入滅の間際に、集まった弟子達に説法された最後の釈迦の教えが記されている。
音域が広く、高く低く波打つ響きを耳に、配られた仏遺教経の写しに目を遣りながら、音読して追っかけてみた。旋律は複雑で細やかな抑揚があり、同じ様には唱えられなかったが、清々しいエネルギーに感動させられた。
訓読みに訳された概要は、処世修行のあり方を戒しめ、五欲をつつしみ、定(じょう)を修めて、悟りの智慧を得ることを説いてあり、「時将に過ぎなんと為 我滅度せんと欲(ねが)う 是れ我が最後に教げする所なり」と結ばれている。
最終行は、声を合わせ「ナムシャカムニブツ(南無釈迦牟尼仏)」と、6回同じ旋律で唱え、釈迦の遺徳を偲び、先祖に感謝し家内安全を祈った。
千本釈迦念仏を唱えた本堂は、鎌倉初期の安貞元年(1227年)に創建されたもので、応仁の乱などの戦火を免れ現在に至っている京都最古の建物である。
そして、その本堂は国宝となり、本尊である木造釈迦如来坐像(重要文化財/行快作)が安置されることから釈迦堂と愛称されている。
彼岸の釈迦法要をするのに、これほど似合う場所はほかにない。
更に、堂内には、年に一度のこの日限りに開帳される涅槃図が掛けられていた。
そして、法要を終えた百名余の参列者の拝観が済むと片付けられた。
祭壇の灯明を見つめるその場の空気は、まるで鎌倉時代の在りし日にタイムスリップしたようで、異空間である。時の流れに癒しを覚え不思議な感覚に包まれた。
本堂を出ておかめ桜の開花に眼が留まった。きっと桜の花々も釈迦念仏を唱えていたのではないだろうか。
本堂を降りる階段の下には、履物が行儀よく揃い並んでいる。
帰路につく参拝者は、我あとにと、会釈と手招きで譲り合っている。
そして、年配者に手を差し伸べ、足元を見守る若者が居た。
桜の追っかけは今週に大忙しとなるだろうが、このお堂に集う人のようでありたい。