洋館を訪ねて 烏丸三条
ビルヂングは京町家に匹敵する近代の宝
近代建築遺産の宝庫でもある京都の扉を開いてみることにしたい。
まず、それらの遺産の多くは何よりも日常生活の中で息づいているから嬉しい。そして、出入りするたびにその存在感に元気が貰える。更に、調和が崩れず界隈を生き生きさせていることが見落とせない点である。
これらはわが町を誇らしく語れる原動力となっている。
烏丸六角から三条通へ一筋上がると、西南角に、赤レンガに白い石のラインが走り緑青の屋根が乗る、威風堂々とした英国ヴィクトリア様式の二階建がある。
渋沢栄一傘下の第一銀行京都支店(現みずほ銀行)として、1906年(明治39年)に辰野・葛西建築事務所の設計で建てられたものである。
当時の建物は老朽化により1999年に取り壊され、現在の建物は2003年に実に見事に再生された。
取り壊されるときには、また一つ自慢の建物が消えるのかと愕然とした。
南隣の住友銀行の土地と一緒に地上げされ、味気ない殺風景な高層ビルでも建とうものなら・・・と、当時は心配した。再生されると聞いたときも、緑青の屋根と赤レンガに白い石のラインを目にするまでは不安であった。
その意匠は辰野式と呼ばれる建築家辰野金吾の考案で、この建築に僅かに先立って起工した旧日本銀行京都支店(現・京都府京都文化博物館,明治39年竣工)において採用した手法である。後の1914年に現東京駅(旧中央停車場 大正3年竣工)など多数に採用されつづけているものである。
外観は赤レンガを露出させ華やかで実に美しい。外壁を良く見ると、化粧レンガ積みで,丹波産花崗岩を帯石・隅石に用いている。その白いラインが走る様と赤レンガのコントラストは、まさに日本の近代化の象徴のように小生の目に焼きつく。
現在の屋根は全面銅板葺きのマンサード屋根(四面寄棟二段勾配屋根)である。元は上部を銅板葺き,下部はスレート葺きとする形式であった。
マンサード屋根に高屋根や小塔がデコレーションされているが、これも辰野のフリークラシックと呼ばれる技法で、明るい未来が広がるストーリーをイメージさせてくれる。
南隣の住友銀行も取り壊され、現在ホテルモントレとなったが、その客室の高い外壁は辰野の赤いレンガと白のラインをイメージしたデザインが用いられ、景観に調和と統一が図られていて、喜ばしい限りである。
次に烏丸三条交差点を東に三条通へと、近代建築遺産めぐりを始められる人が多いようだが、この町歩きは西と北に立ち寄ってからにしたい。
西には文椿(ふみつばき)ビルヂングが、北には新風館跡がある。いずれも現在はリニューアルされ、方や大人の、方や若者の商業施設として再利用されている。そして、新風館跡はまもなくホテルとして生まれ変わる。
文椿(ふみつばき)ビルヂングは、コーヒーのスターバックスとカフェの伊右衛門サロン、韓国茶の素夢子古茶家(そむしこちゃや)に囲まれるように建っている。
銅版とスレート葺のマンサード屋根。木造にレンガタイル張りの外壁。小口積みの質感に目地を丸く盛り、高さをタイルと同じくする覆輪目地(ふくわめじ)の仕上げになっている。
全体の外観に派手さはないが、醸し出されている落ち着いた風合いは、建物名と相まって文化度の高さを感じさせる。
1920年(大正9年)に西村貿易会社の社屋として建設されたもので、設計者は不明であるが、繊維問屋の時代があり、戦後間もなくはアメリカの文化施設としても使われていたと聞いている。その後、呉服商社に使われていたものを、2004年10月、久和幸司建築設計事務所により、文椿ビルヂングとして再生されたのである。
八角形を真っ二つに割り込んだ片蓋柱が出迎える正面出入口を入ると、一部天井が高く5メートルほどの吹き抜けになっている。まるでお寺さんの本堂並みである。
通路左右に、テーブルウェアショップ、男きもの店、輸入生活雑貨店、天然石アクセサリー店、ライフスタイルグッズショップ、アロマコスメ店、椿のギャラリーショップや、2階にはインテリアファブリックと雑貨の店などオリジナリティ溢れるショップがあり、ヘアー、エステのほかに、イタリアン、炉端、京焼肉もあった。
室町問屋の斜陽が町にもたらすものが、コインパーキングや味気ない画一的なマンションばかりではがっかりさせられる。どこの町にやって来たものかも分からない均一的な町には誇りが持てないものである。
文椿ビルヂングの前に立ち、その静かな佇まいを眺め、内に秘めた文明開化の眩しさを感じさせられ少々安堵した。ここにも京都を愛する勇士がいるのだと。
さて、烏丸三条の交差点に戻り、信号を東に渡り左へと上ることにする。
京都中央電話局(現新風館跡)が待ち構えている。民営化されNTTとなって久しいが、未だに小生はNTT三条ショールームのことを三条電話局と言ってしまう。流石に新風館跡を電話交換所とは呼ばなくなったが。
しかし、建物の概観は1926年(大正十五年)の電話交換所(1931年増築)のままのようである。
逓信省営繕課の吉田鉄郎設計の鉄筋コンクリート造3階建のレンガ張りで建築されたものだ。
窓の数といい、形といい、何とモダンだったことだろうか。四角形の窓二つが上下に並び、半楕円のアーチ状の窓が更に上にある配置が、規則的に連続して外周をデザインしている。
2009年5月に閉館したカーニバルタイムズ(鴨川丸太町西詰)にも、吉田鉄郎は同じような意匠を使っている。
それはビンテージの古着を身に着けた時の感覚を覚えさせる。つまり、レトロ感がありながら古さを感じさせない味を持っている。そして、何か新しいことが始まる予感を感じさせている。更には、日常的で、気軽に集え愛される空気観がある。
回廊式の建物に囲まれた吹き抜けの中庭は、都会のオアシスに間違いない。ビジネスパーソンも夜な夜な新風館の灯りに集ったものだ。
景観に風格と歴史の厚みを加える貴重な遺産が、間違いなく京の町に息づいている。
それは保存され観光資源となる神社仏閣だけではない。京都には捨ててはならない近代建築というストックがある。
このストックを京都に生活するものが、いかに生かし暮らしていくのかを求められているのである。そして、発信することが重要なのである。
そんな思いで、レンガ色の街歩きは続く。