【稲荷山初午】山の霊気は登り詣でて語れるもの
稲荷山の霊気は登り詣でて語れるもの
おせちのお重を片付け、一年の無病息災を願い、「七草粥」を食した。
「鏡開き」で円満な日々が続きますようにと念じ、お善哉も頂いた。
そして注連縄と門松を外し、小正月には、邪気を払い万病を防ぐと言われる「小豆粥」を頂いた。
これでハレの正月からケに戻ったのだ。
遅れた年賀の挨拶状も寒中見舞い状となっている。
年の始めの1月には「初」のつくものが多い。
初詣にはじまり、初ゑびす、初金毘羅、初観音詣だ。21日が初弘法で25日は初天神、28日は初不動である。
2月に入ると初午というものもある。
大変な賑わいであるので、稲荷山を是非巡拝いただきたい。
新年の巡拝はとりわけ功徳が高いといわれている。
さて、初詣京都一、全国五指の参詣客を集める伏見稲荷大社の「初午」はご存知だろうか。
旧暦如月の最初の午の日(現在では新暦2月の最初の午の日)は、稲荷大社の大祭である。
つまり稲荷神のご鎮座の日である。
和銅四年(711)、稲荷大神は稲荷山の三ヶ峰に初めてご鎮座された。
最も良い結縁の日は鎮座された大祭の日である。
さて、稲荷大社への初詣の折、鳥居をくぐり、楼門をくぐり、拝殿への社参でお帰りになっているのではないだろうか。
稲荷大神の五柱(いつはしら)の祭神にお参りになっているには間違いないが、本社に参られているのに、そのルーツを見ずしてお帰りになるのは、あまりにも勿体ないと思う。
是非稲荷山への散策をされながら、ご鎮座された一の峰にある上之社、二の峰にある中之社、三の峰にある下之社へと参詣され、高い功徳とご利益を授かっていただきたいのである。
清少納言も、ご利益にあやかるべくお山へ参ったと、記しているほどだから。
お山の参道には、朱の鳥居が、延々と建っている。全国津々浦々の信者の寄進によるものだ。
その一部はテレビや映画のワンシーンなどで千本鳥居として知られている。
歩くと解かるが、稲荷信仰の歴史の長さ、神縁への多大な感謝と、祈りの表れが感じ取れる。
稲荷山では稲荷朱塗りの鳥居を、千本鳥居の何百倍ものの数を目にする。
ポスターなどにある千本鳥居など驚くほどの数ではなく、しるし程度のものであることが分かる。
「三辻」から400段の石段を登ると、眼下に伏見の景色が広がる「四辻」にたどり着く。
途中には数軒の茶店もあり、三つの願いが叶えられるという「三徳社」や、その前には神具店もある。この「四辻」からが、上社・中社・下社に詣でる「お山巡り」のスタートだ、と知ったのは小生も最近の事である。奥社からすでに始まっていると思い込んでいた。
また、お山に祀られている各社のほかに、お山には鳥居以上のおびただしい数の「塚」がある。
この「塚」は、稲荷大神より分霊された信者宅で祀る稲荷大神の神名を、石に刻み奉納されたもので、その神名を稲荷山霊峰でも祀りたいとする「お塚信仰」、と呼ばれるものである。
「お山詣」は山峰にある拝殿形態だけでなく、お山そのものが神霊であることを感じさせる。
お滝場の存在も考え合わせると、山嶽信仰そのもののように思う。
『山城国風土記』よると、
裕福な豪族、秦伊呂具(はたのいろぐ)が餅を的にして矢を射ったところ、餅は白鳥に姿を変え、山へ飛び去り、白鳥の舞い降りた峰に稲がなったため、その地はイ(ネ)ナリと名付けられた。
それ以来、米の精霊が宿る餅を射るという神への冒涜を行ったことにより、秦家は没落。
悔い改めた子孫が、その地に稲荷神を祀った、
という起源が伝わり記されている。
お山に祀られている社や塚を巡り、商売の神様だけではない稲荷大社と稲荷山を知り、体験していただきたい。
初詣に参詣された方も、是非も一度、「初午」に伏見稲荷大社へ足を運ばれてはいかがだろうか。
稲荷信仰 初午
http://inari.jp/about/num08/
稲荷山 大社マップ
http://inari.jp/trip/map01/
稲荷勧請
http://inari.jp/about/num04/