京料理ブランドの信義
京のほんまもんは大丈夫か
「船場吉兆」の不祥事報道はブランド神話に更に一石を投じ、波紋を拡げている。
食品表示における虚偽記載や産地偽装はナショナルブランドに対する信頼をも崩壊させている最中、一流ブランドや老舗ブランドにおいても同様であると言わんばかりである。
「ブルータス! おまえもか!」の心境である。
歴史のある店や大規模に経営している会社は信頼ができ、その信頼の価値に高価な代金を納得して支払っていたのが大多数の消費者である。
つまり、いかがわしいか否かを判断する場合、誰でもが即座に判断する基準が、暖簾や看板というものである。
その看板に嘘偽りのないことが誓われた上に示された対価であるから、値段に相応しくないと思った時も、この場所で値交渉することは恥だと錯覚させられ、値引きすら交渉せず支払っている。
あの一皿は自分の好みの味ではなかったとか、自分の舌があの味を知らなかったのだろうか、いや今日は自分の体調が悪かったからだろうかと、お客の方が実に滑稽なくらいに謙虚なのである。
納得のいかない料理や客あしらいには、ただただ支払いを済ませ、「もう二度とこの店にはこない」というのが唯一の抗議で、やはり請求どおりの支払いを済ませている。
「看板に偽りあり」という運動を展開する程のエネルギーは、勿論のこと費やしていない。
魯山人とも交流のあった湯木貞一が創業した「吉兆」。
その冠をかざす吉兆グループの一社である「京都吉兆」は大丈夫なのか。
報道を耳にした時、即座に脳裏を掠(かす)めた。
嵐山から「京都吉兆」がなくなって欲しくはない。
しかし、もし同様の裏切りがあるなら・・・。
一料亭が休廃業するだけの騒動ではなくなることは容易く想像できた。
つまり、「京料理」というブランドそのものが、同罪の憂き目にあっても可笑しくはないからだ。
なぜなら、「能書きがどうであれ、所詮どことて同じだ」という短絡的な総括が、国民イメージとして出来上がる怖さがある。刑罰を受ける事実がなくても、それが業界常識、風土であるということが、世間には山ほどあることを国民は知っているからだ。
「京都吉兆」をはるかに凌ぐ超老舗が京都には多数あるが、「うち等は違う」とは言っておられないのだ。「京都吉兆」も京都料理組合員の一員であり、その他の超老舗も一員であって、国民からすれば区別はつけられないからある。
先日「京都吉兆」のホームページトップを見た。
社告として「お詫び」が掲載されていた。
営業は続けられ、監督官庁より適正であるとの結果が出たと発表されていた。
小生も一安心で同慶の極みであるが、法人格は違うといえど、吉兆ブランドは失墜したことは否定できない。
失った信頼を奪還するには時間を要するが、普通の努力では叶わないだろう。
仏門にも入られていたと聞く徳岡邦夫料理長には、京料理の使命をも背負って奮励いただきたいと、小生は願うばかりである。
一年の締めくくりとなる師走。
どうなるかと思っていた京料理業界の総決算イベント「京料理展示大会」にも、これで安心して出かけられる。
ダーティイメージを払拭する勢いで、真の「京のほんまもん」をご披露いただきたい。
「事始め」の13日から翌14日の両日、みやこメッセ(左京区岡崎)で開催されるが、今年は改めて目を凝らしての入場者が多くなるだろう。
船場吉兆
http://www.senba-kitcho.com/
船場吉兆の食品偽装問題
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/senbakitcho/
京都吉兆
http://www.kitcho.com/kyoto/
京都料理組合
http://kyo-ryori.com/
第102回京料理展示大会のお知らせ (庖丁鍛冶「有次」)
http://www.aritsugu.com/kyo-ryori.html