紅葉紀行 鷹峯を訪ねて1
秋深まり、色増すもみじに歴史の血潮も見え隠れ
京都に始めて入洛される客人に、案内を所望され訪れることになる名所がある。
普段、頻繁に往来するところにある神社仏閣であっても、わざわざ拝観料を払って入ろうとする京都人は稀であると思う。
およそ観光名所と呼ばれるところはそうなのかもしれないが、神社は拝観料がいらず参拝できるので、市民にとって近しい存在となっている。また、お祭りもあるので更に身近に感じているのである。
それを市民の財産と思い、そこに住まうものの誇りと自負している。
上賀茂神社、下賀茂神社、八坂神社、平安神宮、伏見稲荷大社などがその例である。
他所の人にそれらを褒められた時、こちらからの返答や説明に、誰もがつまづかないことからも明白である。話ネタが尽きずとまではいかなくとも、頭の中が真っ白になって困ることはない。
ところが観光寺院となると弱ってしまうことがある。その筆頭が豪華絢爛の金閣寺である。
「京都には金閣寺があっていいですね。去年の秋いったのですが・・・。」と話かけられ、
「室町幕府があったお陰で・・・、義満の山荘北山殿だったのですが、金閣があって庭園が生かされ、庭園があって金閣が生かされていると思っています。金箔の張られた金閣、三層の折衷の様式も然ることながら、鏡湖池の名石名木をご覧になられましたか、あの石と木こそが日本人の歴史と文化を語っていると思います・・・」
などと、応えている人は映画でしか見たことがない。
小生もその一人だが、大方の人は、
「はあっー・・・。綺麗でしょ。閑静なところで・・・、私は銀閣の・・・。」と慌てふためき、意味のない愛想笑いで誤魔化し、早く話題を変えなくてはと思っている。
昨秋訪れた人に、何年も訪れたことのない地元人が話すことなどある筈がない。しかし、相手方は観光タクシーの乗務員さん並みを期待している。ところが、相手の方が遥かに京都通で、まことに滑稽な光景である。
そういう状況に何度となく陥ったこともあり、小生は考えた。
それでも、有名観光寺院案内の達人を目指す拝観は、やはり二の次とすることにした。
見たいお宝を見せて貰える時など、必要に迫られたときの自然体で良いと。
その代わり、その周辺にある社寺の名案内人を目指す方向を探ることとした。
金閣寺ならば、周辺といえば龍安寺や仁和寺が挙げられるが、それ等ではない。
東なら建勲神社や今宮神社であり、北なら大文字山を挟んだ鷹峰の寺院である。
これなら地元人らしくもあり、通も気どれ、オタクほどマイナーでもない。
11月ともなれば、洛北鷹峰の三ヶ寺の紅葉見物に古い町並みの千本通を仏教大学辺りから歩いて訪れても良い。スタート地点では、銀杏黄葉(いちょうもみじ)の鬱金色(うこんいろ)と校舎のレンガタイル色の対比が目や心を癒してくれる。
鷹峰の信号が見えるあたりまで来ると「しょうざん光悦芸術村」がある。
三万五千坪の広い敷地内の日本庭園をゆったりと散策して、染色ギャラリーに立ち寄り、ゆっくりと食事を取られても良い。京料理に京料亭、チャイニーズに鳥料理、おまけにカフェテラスまで用意されている。更にチャペルやボーリング場まであり、カップルのデートにもお奨めできる。
北庭園は茶室や屋敷を点在させ日本の粋を演出している。鷹ヶ峰三山を借景にした紅葉の自然美と庭園美は、社寺の紅葉狩では味わえない、否、社寺嫌いの人にも楽しめる遊歩道的な魅力を持っている。
小生のお気に入りはお土居跡の辺りの色とりどりのモミジで、木立を抜ける石畳が散モミジの絨毯に変わる光景に行く度に感嘆している。小川のせせらぎや紙屋川に架かる橋に被るイロハモミジは、木々の茂みの所為で赤朽葉(あかくちば)を更に濃く見せ、散策していると、木漏れ日を拾い艶やかさを放っている葉にも出合う。
この地より山手一帯が北区鷹峰光悦町である。俵屋宗達と共に「琳派」の祖と仰がれる本阿弥光悦(ほんあみこうえつ 1558〜1637)の一族や、工芸の職人らが移り住み、芸術の集落となったことから光悦村の通称で呼ばれていた。
元和1年(1615年)徳川家康は光悦に鷹峰の9万坪の地を与え、京見峠から京への周山街道入口の警備をさせたとも、後水尾天皇の庇護から遠ざけたとも諸説あるが、光悦は幅広い芸術家として後世に名を残した。
その光悦の屋敷跡で、菩提が弔われているのが日蓮宗大虚山光悦寺である。
鷹峰の信号を左手に折れるとすぐのところで、駒札の立つ道路から山門を経て鐘楼までの紅葉のトンネルは、イロハモミジが赤々と染まり、その名を轟かせている。
寺院らしくない境内は、山腹の段差に作られた七つの茶室の所為かもしれない。
光悦の居室であった大虚庵前の大きな臥牛(ねうし)垣が見えた。通称光悦垣と呼ばれる高さに勾配のある独特の造りに紅葉が映え、足元を熊笹がまとめ上げている。
隣の茶室との境界に、八重の白い山茶花と朱に染まったドウダンツツジが目に鮮やかである。順路に沿い了寂軒に進むと、丸く盛り上がり整った山が現れた。鷹ヶ峯は名前とは裏腹で円満な形である。
鷹ヶ峯・鷲ヶ峰・天ヶ峰の鷹峰三山を、伸びたモミジの枝越しに窺い見る風情も試してみた。なかなか乙なものである。
しばしの間、眼下の渓谷と遠方に霞む衣笠方面の山の峰を眺めていると、悠久の時の流れを感じとっている自分に気づいた。
団体客の声が聞こえてきた。早々に源光庵に向かうことにし、光悦寺を後にする。
続
金閣寺
http://www.shokoku-ji.jp/k_access.html
しょうざん光悦芸術村
http://www.shozan.co.jp/shozan/