島原太夫道中 / 太夫の足捌き
島原遊郭の「島原太夫」さんである。
吉原では花魁、京都・大阪では太夫という呼び方が一般的だったようである。
吉原にも当初は太夫が存在したようだが、その呼び方が次第になくなり、
花魁(おいらん)に変わっていったとの事。
嵐山もみじ祭りの日に、嵯峨釈迦堂での夕霧祭の夕霧法要を終えて、
嵐山保勝会の主催する行事での花魁道中を披露する場面。
太夫の傍の少女は禿(かむろ)という。
禿とは、太夫の身の回りの雑用をする10歳前後の少女達の事である。
今年の嵐山の紅葉は遅れているものの多くの観覧客に囲まれ、
道中を遮るほどの群集まなかで、一際艶やかさを見せ賑わった。
太夫・花魁の道中は、その歩き方に独特の特徴がある。
足袋をはいた足元は島原太夫ではない。
太夫は裸足である上、草履ではなく、これまた独特の高下駄である。
下駄の歯に注目して貰いたい。三枚歯である。
その向きを見ると、どう足をひねっているかがお分かりいただけるだろう。
島原は内八文字と呼ばれる足捌き(あしさばき)であるが・・・
映画「さくらん」での花魁道中
こちらは吉原が舞台で、その足捌きは外八文字なのだ。
その歩き方だけではない。
太夫の装いも30キロといわれ、頭から着物、帯の締め方まで尋常でないのである。
太夫の装いも30キロといわれ、頭から着物、帯の締め方まで尋常でないのである。
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