中世トリビア(その1)
~『沙石集』は話題の宝庫~
[警告]本稿にはお食事中やお食事前の方にとって必ずしも適切ではない内容が含まれています。
ご注意ください。
「トリビア」という言葉もひところ流行ったようだが、今はもう落ち着いているようなので安心して使える。
という訳で、今回からは新シリーズとして鎌倉時代の古典『沙石集』をネタ本にして面白いエピソードを拾っていくことにする。
テレビ番組が流行らせたときのトリビアというのは「へぇ~」と感心することだった由。私は見たことがないので間違っていたらご容赦願いたい。
「へぇ~」と言うのは良いが、「へ?」になると疑問である。
で、この「へ?」というのは「屁」に通じるわけだ。
ん? いささか強引だったかな?
これは人間の生理に関わることで、一般にも馴染みが深いからか「屁のカッパ」とか「そんなことは屁でもない」とか、慣用句にもなって親しまれているのはご存知の通り。
この屁であるが、鎌倉時代は「下風」(げふう)と言ったことが『沙石集』によって分かる。
平安時代の宮中では「おぷう」(漢字では「御風」と書いたのだろう)と言っていた。同じ現象でも時代と場所によって呼び方が変わるのだな。
「下風」というのは格の高いお坊さんも普通に使っていた。
『沙石集』巻第6ノ7によると、清水寺で法華八講の行事があったとき。
初日の説法をしていた老僧が説法の途中で急に高座から降りてどこかへ行き、帰ってくると高座に戻って説法を続けた。
翌日、同じ老僧が説法の途中で今度は顔を上に向けて「ああ、どうしよう」と困惑の表情を浮かべた。
周りの人が「どうされましたか」と訪ねると、老僧は答えて
「昨日は糞が出るかと思って座を離れたが下風が出ただけだった。今日は下風が出るだけだと思ってここにいたら糞が出てしまった」
周りの人たちは一斉に
「アラキタナヤ」
と立ち上がった。
多分、この老僧は自分の失態に「くそ~っ」と嘆いたことだろう。
このように「下風」というのはお坊さんでも普通に使っていたのである。
「屁」や「おなら」に比べて優雅ではなかろうか。
このような雅な言葉は現代でも積極的に使ってはどうか。
「屁をこいだら臭かった」
ではあまりにも汚らしい。
そこで次のように言うのである。
「下風さわやかに吹き抜け香ほのかに立ち昇る」
なんとも美しい日本語ではないか。
こういう心配りから「おもてなしの心」も生まれるのである。
上品なおもてなしは上品な教養から生まれる。そして上品な教養の基礎になるのは古典である。
あまり皆が言いまくると「おもてなし」というのも値打ちが下がる。ここで古典に回帰して単なるスローガンにされてしまった「おもてなし」をもう一度、正しい姿に戻そう。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・132】
沙石集(しゃせきしゅう / させきしゅう)
鎌倉時代中期、仮名まじり文で書かれた仏教説話集。十巻、説話の数は150話前後。無住道暁が編纂。弘安2年(1279年)に起筆、同6年(1283年)成立。
鎌倉時代の僧無住が、多方面に及ぶ好奇心と無類の博識により集めた仏教説話集。中世の庶民生活、修行僧の実態、地方の珍しい話が巧みな語り口で描かれている。『徒然草』、連歌、狂言、落語などに多大な影響を与えた。
その後も絶えず加筆され、それぞれの段階で伝本が流布し異本が多い。記述量の多い広本系と、少ない略本系に分類される。