陰陽師の真実(その7)
~陰陽師 vs 仏教界~
前回では公務員の陰陽師とフリーランスの陰陽師がいたことを記したが、娯楽作品で描かれる安倍晴明と蘆屋道満の戦いはお役所と民間の争いということになろう。
安倍晴明は実在したが蘆屋道満は架空の人物。というのが今までの定番だが、近年の研究では道満も実在したのではないか、という説も出ているらしい。「らしい」というのは私自身がその史料を見ていないから。
ただ、たとえ架空の人物であるにしても、蘆屋道満という人物造形のモデルになった民間陰陽師はいたかもしれない。それが一人だったか複数だったかは何とも言えないが。
ところで、晴明と道満の対立が「利権は全部こっちのものだ」という官僚と「民間に出来ることは民間に任せろ」という実業家の縄張り争いだとすれば、これとは別に「伝統勢力」と「新興勢力」とのせめぎ合いも存在した。
その伝統勢力とはズバリ仏教界である。
そもそも加持祈祷といった一種オカルト的な力は仏教界の専売特許であった。
前々回の「陰陽師の真実(その5)~超能力の秘密~」でも言及したが、平安初期は「超能力」を使う人というのは弘法大師空海だった。日本各地に数々のエピソードを残す超有名人である。
その空海が亡くなった後も仏教界はしっかりと「オカルト利権」を享受していたのだが、空海亡きあと幾星霜、安倍晴明というニューヒーローが現れるというのは想定外だったに違いない。「嵯峨天皇の皇太子の病気を空海が治した」というエピソードも「花山天皇の頭痛を晴明が治した」というエピソードで上書きされる羽目になった。
そう、仏教界の利権は陰陽師に奪われたのである。
『今昔物語』にある「広沢の池で坊主たちが晴明に人を殺して見せろ」と言ったという話も、陰陽師派が作った説話であろう。
但し、仏教界も負けてはいない。プロパガンダにはプロパガンダで対抗しているのである。
『今昔物語』巻19ノ24に泰山府君祭に関する話が出てくる。
ある高僧が病気で死にかけている。弟子たちは何とか回復させられないかと安倍晴明に相談すると、「泰山府君祭をすれば回復させることは出来るが、その代わりに別の誰かが死ななければならない」と言う。
弟子たちは師匠には回復してもらいたいが、かといって自分が死ぬのは嫌だと、誰もが身代わりには名乗り出なかった。
その時、貧乏で弟子としてのランクも低かった無名の坊主が、自分はこのさき生きていても出世できそうにもないし良い事もないだろうから身代わりに死んでも良いと申し出たのである。
「それはええこっちゃ」と他の弟子たちは早速、晴明に泰山府君祭をやってもらった。
すると高僧の病気は治ったのだが、代わりに死ぬはずの弟子は死ななかった。
その心意気や良し、と思った御仏の御慈悲で死なずに済んだのである。
この話の眼目は、晴明はその弟子を助けてはいない、ということである。弟子を助けたのは御仏の慈悲だから。
これぞまさしく仏教界の逆襲であろう。
面白いことにこの説話は時代が下がるにつれて脚色されていく。
まず『今昔物語』では名前のなかった登場人物に対して、『曾我物語』巻7では高僧には智興内供、弟子には証空という名前がついた。
さらに不動明王が出てきて死ぬはずの証空を助けることになる。これが「泣き不動伝説」になるのだが、ここでの晴明は数珠をかき鳴らして『法華経』の「見宝塔品」に出てくる「平等大慧」という「平等の真理を得て、それを衆生に及ぼそうとする仏の智慧」でもって智興内供を助けるのだ。結構「仏教」しているのである。
そして最後は証空が拝んでいた不動明王の絵が涙を流し、証空を助けると。
陰陽師の力よりも不動明王なのである。
「利権を奪回せよ」
仏教界の大号令が聞こえてきそうだ。
もちろん、この逆襲に陰陽師だって黙ってはいない。どうしたのかは来週に続く。
【言っておきたい古都がある・124】