戦争と映画と(その2)
~日本は軍国主義ではなかった?~
さて、前回に引き続き、戦時中の映画で日米戦争を振り返ってみる。
フライング・タイガー(1942)※昭和17年。
監督・デウィッド・ミラー
西部劇のヒーロー、ジョン・ウェインが銃を操縦桿に持ち替えて、大平原ではなく大空を駆け回る戦争アクション映画である。
舞台はいわゆる「日中戦争」のとき。
「え? 日中戦争で日本がアメリカと戦ったの?」と思われる方もおられようが、戦ったんですね。
では何故、日本と中国の戦争にアメリカがしゃしゃり出てきたのか?
それは日本がその口実と大義名分を与えてしまったから。
今では「日中戦争」と呼び習わされているが、当時は「日華事変」(支那事変とも)と言った。
「戦争」ではなく「事変」であると。
日本政府は事態を矮小化しようとしたのだが、これが裏目に出た。
ちゃんとした戦争であれば当事国以外は中立を保たねばならない。それが国際法上の義務である。それならば日本は中国(国民党軍)だけを相手にすればよく、勝機もあっただろう。
ところが戦争ではなく事変であると姑息なことを言ったため、アメリカが「あ、それなら中立義務は無いね」と蒋介石を援助したのである。
「日本は援蒋ルートに悩まされた」とか書いている本もあるが、悩まされた原因は日本自身にある。
特に、蒋介石側は外国の支援なしには戦闘を継続できなかったのだから、「事変」などと称してアメリカが武器を提供する余地を与えてはいけなかったのである。
もし日本が本当に軍国主義であれば、こんな姑息なことをせずに正々堂々と宣戦布告すればよかったではないか。軍国主義者ならそれを恥ずることは無いだろう。正規の戦争により第三国に中立を守らせ、対国民党軍に全力を傾ければよかった。
日本は本当に軍国主義だったのか?
もちろん、アメリカも「何故、支那大陸(当事の呼称)で戦う必要があるのか」という世論を無視できないので正規軍は送らなかった。
代わりに戦地に送られたのが「義勇軍」である。志願者を募って日本と戦わせた。もちろん、給料が出るし、戦闘機乗りは一機撃墜するごとに報奨金がもらえたのである。だからその報奨金目当てで志願した人もたくさんいたらしく、映画の中にも出てくる。
報奨金は一機撃墜ごとに500ドルとなっているが、これはかなりの高額である。映画ではどんどん撃墜するが、現実には戦闘機なんてそうたくさん落とせないだろう。報奨金の高さは逆に実際はそんなに撃墜できるものではなかったということを証明しているのだと思う。
ちなみにこの義勇軍が使う戦闘機はもちろんアメリカが提供している。でも、アメリカは「軍隊は送っていない」。フライング・タイガーのメンバーは軍人ではなく、ボランティアなのだ。(まあ本来ボランティアというのは志願兵という意味でもあるが)
さてさて、この映画で笑ってしまうのは登場する日本兵がどこから見ても中国人であること。
それだけならまだマシである。
編隊を組んでやって来た日本軍機のパイロットが、迎え撃ちに出てきたフライング・タイガーを見つけると暢気な声で
「飛行機来ました」
と報告している!
普通はこういうとき
「敵機発見」
と言うだろう。いくらなんでも「飛行機来ました」は無いと思う。
もっとも、こういう映画でどのような日本語を喋っているかを良く聞くというのも楽しみのひとつではあるが。(たとえば「007は二度死ぬ」や「ロボコップ3」など)
その辺はトンチンカンなのだが、やはりきっちりと作っているところもあって、ジョン・ウェインが新入りのメンバーに日本機の特徴や性能を講義する場面では「カワサキ」とか「ナカジマ」と言って説明している。特に「ナカジマは手ごわい」とか言ってるのを聞くと、中島飛行機製作所というのは有名だったのだなと、改めて感心してしまう。
感心と言えば、この映画はプロパガンダ臭が無いのである。戦意高揚映画というより正統派の娯楽映画である。
1時間40分。十分楽しめる。
特にラストのクライマックスでは「なんじゃ、アメリカも特攻をやるやないか」と大いに感銘してしまった。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・97】