お寺の未来(前編)
~法人税免除にも理由がある~
さて、前回までは京都の町家の未来について書いたが、同じ流れで今度はお寺の未来である。
お寺に未来はあるか?
と問われれば、悲観的な声も散見する。
一方で、「京都では坊主と陶芸家は食い詰めたことがない」とも聞いたが、根拠のほどは定かではない。
「日本の仏教は葬式仏教になっている」と言われて久しい。
ただ、私は葬式仏教でかまわないではないかと思っている。
だいたい日本人は生まれたら神社でお宮参り、年頃になったらキリスト教の教会で結婚式を挙げ、死んだらお寺でお葬式というのが定番なのである。まあ結婚式はキリスト教ではなく「キリスト教風」なのだが。
一生のうちに三つの宗教を駆け抜けるわけだが、人生の一番最後、締めくくりに仏教を選ぶというのは、そしてそれが何の疑問もなく当たり前のこととして受け入れられているのは、基本的には日本人は仏教徒なのである。「死んだら成仏できるか」というのが大多数の感覚だろう。
天皇陛下を神道の元締めのように思っている人もいるが、桓武天皇から孝明天皇までの歴代天皇はみんな仏教徒である。退位してから出家した天皇陛下は多いが、神主になった例はない。皇室と仏教というのも結びつきが深いのだ。
そこで、お寺が批判される一番の話題は「法人税を払っていない」というもの。
いただけないのはこれに対する仏教側の反論で、出てきた坊さんが
「私はちゃんと所得税を払っています」
と言って、だから「宗教法人も税金を払っている」ということにしてしまう。
個人の所得税と法人税は別である。坊主個人は法人ではない。
観光寺院の拝観料収入が事業所得だとすれば一体どれだけの税金を払わなければならないかというのを一般の人は問題にしているのである。
ちなみに、拝観料というのは法律的には「寄付金」になるので、事業所得と同じに扱うわけには行かない。
ただ、ここで私はお寺を少しだけ弁護したい。
確かに、坊さんの中には高級車に乗って檀家回りをする人もいる。
しかし檀家が少なくて大変なところもあるだろう。
観光寺院の年間収入に思いをめぐらす人はいても、普通のお寺の維持費にどれだけかかるかに思いをはせる人はいないようである。
小さいお寺でも境内を綺麗に維持するのは大変ですよ。
良い檀家を抱えているところは大丈夫だろうけれど、そうでなければ「塀の修理が必要ですので寄付金いくらお願いします」とか「雨漏りがしますので修理費の寄付をお願いします」といったプリントがしょっちゅう回ってくることになる。檀家さんも大変だ。貧乏寺でも本山への上納金は払わなければならない。
こうやって一所懸命お寺を続けているところもあると思えば、法人税ぐらい負けてあげても罰は当たらんやろう、と思う。
だから私は声を大にして言いたい。
お寺(宗教法人)は税金免除でもかまわない。
そのかわり財務内容を全て公開せよ。
これで文句を言う人はいないと思う。
お寺の未来で心配なのは金ではなく、別の問題である。
その話は来週に続く。
【言っておきたい古都がある・81】