伏見街道を行く(その1)
〜大仏餅に水飲みの龍から国宝まで〜
さて、先週までは京都の大仏様の数奇な運命をたどってみたが、今週からは趣向を変えてその大仏様からスタートして街道筋を南(伏見)に向かって歩いてみよう。
今では本町とか直違橋とか言われているが、本来の伏見街道である。
車がガンガン走る一見何の変哲もないような一本の道にどのような見所があるか、何の気なしに歩いていると見のがしてしまうような、どんな「地域の宝」があるか、少し掘り起こしてみることにする。
まずは大仏餅であるが、これは現存しないようなので『都名所図絵』に掲載の絵で代用しておく。残っていなければパスしても良いのだが、やはり先週までの京都の大仏さんの話と繋がるのでちょっとこだわってしまった。
暖簾に「洛東名物大仏餅」とある。
左側の看板は「新製餅まんぢう」となっている。「焼きもち」みたいなものだったのか。
観光名所がひとつあると、大仏なら「大仏餅」「大仏饅頭」「大仏最中」「大仏煎餅」等等、「名産品」というか、名前を冠したお土産ができるのは今も昔も代わりがないようである。
さて、かつて大仏殿があったいまの豊国神社から三十三間堂へと下がり、さらに南の太閤塀の西の端になる道を南に下がり、JRの立橋を渡る。大谷高校を横目で見ながら突き当りを右折し、郵便局の角を曲がればすぐ前に瀧尾神社が見えてくる。
この瀧尾神社はかつて「伏見街道七不思議」のひとつに数えられた「水飲みの龍」がいるのである。
禅寺の法堂の天井にいる龍は絵であるが、この神社の拝殿の天井にいるのは彫刻なのだ。これは珍しいと思う。
昔、夜になるとこの龍が抜け出して滝尾川の水をの飲みに行ったという。今、川は暗渠になり、龍も水を飲みにいけなくなったので抜け出すこともなくなったとか。
今でも拝殿の天井からはみ出んばかりである。
こんなのが抜けて出てきて「すんまへん、お冷一杯おくれやす」と言ったら、そりゃ不気味だろう。
嬉しいのは参拝者なら拝殿に上って自由にこの龍を見てもよいのである。ありがたいことにスリッパまで用意してある。
まず本殿にお参りをして、気持ちだけでよいのでお賽銭をあげ、その後おもむろに龍を見学すると良い。これは一見の価値ありである。
写真は撮っても叱られないと思うが、決して触らないようにお願いする。最低限のマナーだ。
ちなみにこの彫刻の龍を寄進したのは大丸呉服店の下村一族である。
龍を見た後は絵馬堂も見てもらいたい。かなり劣化しているが江戸時代の大丸呉服店を描いた絵馬が奉納されている。よく見れば〇に大の字が確認できるはずである。
何故、伏見街道の神社に大丸が寄進するのかというと、大丸というのは伏見の京町8丁目が発祥の地だからである。
天下の大丸デパートは伏見で始まったのだ。
さて、神社を出て伏見街道を歩こうとするとここの社務所が見える。
何故かサーモンピンクである。この色にどういう意味があるのか知らないが、私としては「?」であると、正直に言っておこう。
歩を南に取り、京阪とJRの東福寺駅を横目で見ながら歩いていくとすぐに高架がある。そこをくぐれば何やら昔の橋の標識があるではないか。
よく見ると「伏水」と書いてある。昔は「伏見」ではなく、「伏水」と書いたのだそうだ。
なるほど、良質の地下水が豊富で、灘と並ぶ日本酒の生産地だけの事はある。地面の下に「水が伏している」のだ。
高架を抜けて歩けば法性寺がある。
東福寺の西に位置する法性寺。観音堂の本尊は二十八面千手観音。平安時代のもので名前の通り頭の顔は二十八面ある。十一面観音は珍しくないが、二十八面というのは中々ないだろう。手が多いだけではなく顔まで多い。
そして何と、これは国宝である。
一見、何の変哲も無い普通のお寺に見えるが、実は立派な文化財を所有しているのである。
京都中、探せばまだまだこんなお寺は一杯出てきそうだ。
さて、私はさらに伏見街道を南へと下る。そこには何があるだろうか。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・22】