縁切神社を眺めてみれば
〜これは不気味か? お笑いか?〜
さて、過去2回に渡って縁切神社で有名な安井金毘羅宮の絵馬を紹介したが、今回はそれ以外を紹介する。
まずは「縁切祈願の石」だが、昨今、これはガイドブックなどでも紹介される様になったのでご存じの方も多いと思う。
白いお札に切りたい縁を書いて、この石の表から裏に潜り抜けて縁を切り、このまま今度は裏から表に潜り抜けて縁を結ぶのである。つまり愛人が「Aさんが奥さんと別れて私と一緒になってくれますように」という願いを書いたら、それを持ってこの石を潜り、裏からまた出てきたところでお札を石にペタリと貼る。それでOK。
ここは私がやっている「京都ミステリー紀行・東山編」の最後に訪れる場所であり、「東山編」は京都ミステリー紀行の栄えある第1弾なので私とは縁が深い。
で、私がツアーで始めて来るようになった頃、ここは日曜日でもそんなに人は多くなかった。ところが現在ではこの石の前に順番待ちの行列が出来る時がある。それだけ知名度が上ったわけだ。
写真で見てもらっても分るように、貼られたお札の多さに石そのものの大きさが分らなくなっている。これは以前も同じなのだが、昔と較べて全体が一回り大きくなっているのである。来る人が増えて、「石」が成長したのだ。さざれ石が巌になったようなものである。やはり人間の情念は凄まじいのだ。
眼を転じて神社の隣の建物を見てみよう。
これは何か? とよく見てみれば、ラブホテルではないか。
縁切神社の隣にラブホテル!
男と女の縁を切る神社がラブホの隣にあるというのは、ちと話が出来すぎではなかろうか。
彼女に上手いこと言ってラブホに連れ込んだ男が、朝になったらこの神社で「あと腐れなく別れられますように」とお参りして帰るのかもしれない。
しかし最近では時代を反映して、女のほうがここへ引き込んで、お参りもせずに帰るかも。もちろん、男は部屋でミイラにされていて生ゴミと一緒に捨てられるのである。ふふふ、神様の出番なし。
まあ、もっとも、日本という国自体がイザナギノミコトとイザナミノミコトがセックスをして生まれた子供であるから、このような組み合わせがあっても不思議ではないかもしれない。
それと、江戸時代は奥女中などが主人の代参として神社仏閣に参拝した時、門前にある茶店の奥座敷を借りて密会をしたのが「出会い茶屋」つまり「江戸時代のラブホテル」の始まりであるから、その「伝統」が現在でも残っていたとしても不思議ではなかろう。色んな意味で京都というのは伝統を大切にするのである。
手水には「絵馬の道」とあり、このまま参道を進めば先ほど記した縁切りの石が見えてくる。
今は絵馬ですっかり有名になったが平安時代の初期は藤の花で知られていたらしく、村上天皇の歌碑もある。
そして奥には八大力のお社が。。。
最後に絵馬に関して付け加えておくと、この神社では絵馬堂を改築して絵馬の記念館にしている。1階は歴史的な絵馬を展示し2階は現代の絵馬で、中には手塚治虫や水木しげるが描いたものもある。全館見れば軽く1時間はかかる。膨大なコレクションである。
と、いうことは、今現在掛かっている絵馬も、ありきたりのものはご祈祷のうえ焼却だろうが、ユニークなものは保存されるのかな。
どなたか、保存狙いで変わった縁切絵馬を書いてみませんか?
【言っておきたい古都がある・16】