野菜は、贅沢である。 (泉仙 大慈院店)
手前の甘みの強いトマトを使った「ミディトマトの煮こごり」は、ダシが海藻のゼリーで固めたもの。
最奥の「賀茂ナス豆乳ホワイトソースかけ」550 円は、まったりとしたホワイトソースが好評。いずれもコース料理3150 円〜の一品として出されることも。
人知と禁欲に耐えて得た仏知で野菜という食材を昇華させる
禅寺の大徳寺塔頭の大慈院で店を構える。出される料理は、当然至極、精進料理だ。
昨今の料理の本流が、「素材本来の味を際立たせる」「食材の旨みを引き出す」ということであれば、「泉仙」の料理はその流れを逆流しているように映るかもしれない。
膳に並ぶのは、魚や肉を使ったような献立だが、素材はすべて野菜や海藻といった植物ばかり。それらに手を加え、ときには肉のように、ときには魚風に仕上げるなどし、食べ手に決して物足りなさを与えない。
今の時代、お金さえあれば、京料理に欠かせないサバやグジはおろか、フランスの鴨もニュージーランドの羊肉も手に入る。そんなご時世においてご主人の武藤淳さんは、あえてそれらを視界から外し、日がな黙々と野菜をまったく別物に変身させることに余念がない。「料理人ですから、魚をさばきたいと思うこともある。でも、私たちはそういった素材に頼ってはいけないのです」と、その軸は頑としてぶれない。なんともストイックではないか。
しかし、禁欲的であるほど、新たな地平を拓くことができるともいえる。実際、武藤さんはそのようにして精進料理を更新してきた。たとえば、大豆をローストし、コーヒーを淹れるようにドリップしたものをダシに使う。ポン酢にオレンジやレモンといった食材で変化をつける。ウナギの蒲焼は豆腐と山芋、湯葉、クルミを、マグロのお造りはカキの寒天を使い、八幡巻きは湯葉でゴボウを巻くなど、発想の泉が枯れることはない。その見た目と素材の差異を知るにつけ、野菜に秘められたポテンシャルの高さを思い知るが、その背後には野菜を魚や肉に近づけようとする、料理人の涙ぐましい努力があることを忘れてはならない。
精進料理とは、野菜と対峙することで仏知を得た料理人だけに許された、野菜を高次のカタチで昇華させた料理なのである