六道の辻とは何か?
「点」ではなく「面」で捉えなければならない
六波羅蜜寺と六道珍皇寺の話が続いたのでその流れで今回は「六道の辻」の話題に入る。
まず『都名所図会』に描かれたこの二つの寺の全景を見てもらおう。
六波羅蜜寺の境内が広いのに驚かされるのではないか。
松原通り沿いに六波羅蜜寺の塀が続き、珍皇寺の前に門がある。江戸時代には二つの寺の門が向かい合っていたのである。つい先ごろまで六原小学校だったところまで六波羅蜜寺の境内で、鐘楼と手水があったのが分る。今、六波羅蜜寺の梵鐘は地下にあるが、かつてはちゃんと地上にあった。もっとも、江戸時代は庶民の学校の事を寺子屋と言ったので、六波羅蜜寺の境内が小学校に変わったのは決して不等ではないのかもしれない。
姿見の池を挟んで不動堂と開山空也堂がある。現代では宝物館にある空也上人像はこのお堂に安置されていたのだろう。
さて、現在の六道珍皇寺の門前には「六道の辻」という石碑がドーンと鎮座している。
ところが六波羅蜜寺のほぼ隣にある西福寺の前にも「六道の辻」の標識があるのである。
どっちや!?
場所的に幽霊子育て飴が前にあるし、ちゃんと三叉路の「辻」になっているし、六波羅蜜寺から西福寺に出る道のほうが「六道の辻」っぽいぞ。と思ってしまう。
そこでもう一度『都名所図会』の本文に当ってみた。すると何と、
「六道の辻は本堂の前にあり」
と記載されているではないか。
本堂の前って、「辻」というのは本来は十字路のことではないか。お寺の境内に十字路があるのか?
木版画(現代風に言えばイラスト)をみると、確かに四角く囲まれた場所がある。これが「六道の辻」なのか?
ここでちょっと頭を捻ってみた。
「辻」というのは「道が交差する場所」と解釈すれば、「六道の辻」というのは「この世とあの世の道が交差している」と考えることが出来る。つまりわれわれが生きている「この世」での道が十字路になっている必要はないのである。
『都名所図会』に描かれた境内図にある四角い結界の部分こそがこの世と「目に見えないあの世の道」が交差している場所なのだ。
こう考えれば解決、と思ったら。。。今の珍皇寺にはこんな四角い結界はないぞ。
六道の辻はなくなった!?
かろうじて本堂の前に三界萬霊供養塔の立っている場所はあるが、ここがかつての「六道の辻」なのか? しかし説明文も何も無い。
六道の辻はどこに消えた?
ミステリーだ!
この謎を解明するには新解釈しかない。
つまり「六道の辻」というのはただ一点の十字路ではない。「六道の辻」と呼ばれる一点に代表されるその周辺地域すべてが「六道の辻」なのだ。六道の辻というのは「点」ではなく「面」で捉えなければならないのである。
今の松原通は平安時代の五条通である。道は鳥辺野に通じていた。その道の左右には六道珍皇寺があり六波羅蜜寺があり、愛宕念仏寺もあった。昔の人々にとってこのエリアは紛れも無く「この世とあの世の境の場所」だったのである。
このエリアに足を踏み入れる時、われわれは知らず知らずのうちに異次元の間をすり抜けているのである。
今度ここへ行く時は、異次元の裂け目に落ち込まないよう注意しなければならないだろう。
【言っておきたい古都がある・57】
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