珍皇寺の正しい読み方
時代が変われば読みも変わる
「京都ミステリー紀行・東山編」の途中で、信号待ちで立ち止まっていたとき、話のついでに珍皇寺(ちんこうじ)のことを喋っていたら、何かを配達中の兄ちゃんが「ちんこうじ、じゃないよ、ちんのうじ、だよ」と言って憤慨した。
どちらが正しいのか?
答。どちらも正しい。だから憤慨されても困る。
かつて「ちんこうじ」と言っていたお寺は、平成になってから「ちんのうじ」と呼ばれるようになったわけである。別に改名したわけではないのだが、お寺自体が何も問題にしていないわけだから「ちんのうじ」と言っておいてもよい。ただし、歴史的には「ちんこうじ」だろう。
確かに、現在刊行されているガイドブックやネットで調べた場合など、ほぼ全てが「ちんのうじ」になっているので、ついこれが正しいと思いがちなのだが、それらのガイドブックは平成になってから出版されたものであり、ネットというものも平成になってから普及したものである。つまり、読み方に変化が起きた後の情報だということ。以下、本来は「ちんこうじ」であることの証明でである。
古い順に見て行こう。
平安時代、藤原道長の『御堂関白記』寛弘元年(1004)3月12日の記事に「珎光寺」というのが清水寺と並んで出てくる。これが珍皇寺のことである。まさに「ちんこうじ」と読むしかない。
時代は下がって江戸時代。安永9年(1780)に出版された観光ガイドブック『都名所図会』に珍皇寺が「珎皇寺」として紹介されているが、これには「ちんくわうじ」という振り仮名がふってある。まさに「ちんこうじ」なのだ。ついでに記しておくと、この記事の後のほうには、清水寺が出てくるが、そこには「せいすいじ」という振り仮名がついているのである。
写真の全景だけでは分かりにくいかもしれないので文字の部分の拡大写真も載せておく。
さらに時代は下がって昭和59年。淡交社発行の『京都大事典』では「ちんこうじ」として記載されている。こういう辞書を作るときは、たいてい各お寺に質問表を送って、読み方や寺宝についてのチェックをしているはずだから、昭和の時代には「ちんこうじ」であったのは間違いないだろう。
ところが、平成9年に平凡社から出版された『寺院神社大事典・京都山城編』では「ちんのうじ」となっているのだ。当然こちらもお寺にチェックしてもらってるだろうから、珍皇寺というお寺は自分の名前の読み方が変わったということを、何も気にしていないということ。ただ、平成になって読み方が変わった。
次に英語のガイドブックを見てみる。
1985年(昭和60年)発行の MUST-SEE IN KYOTO では六道詣りを紹介した部分で Chinko-ji Temple と書かれています。これもまさに「ちんこうじ」である。この本は1997年(平成9年)に改訂版が出ているが、ここでも Chinko-ji Temple のまま。これは一つの見識だろう。
ところが1994年(平成6年)発行の KYOTO では CHINNO-JI と記載されている。「ちんのうじ」であるな。英語のガイドブックでも平成に初版が出たものは全て「ちんのうじ」になっていると思って間違いないだろう。
結論。
珍皇寺は平成になってから読み方が変わった。
というわけで、平成に入ってから「珍皇寺」というお寺の読み方に変化がおきたわけだが、ただし、その理由は分からない、ということになる。理屈をつければ、「天皇陛下」からの類推で「皇」が「のう」と読まれたともいえるだろう。しかし決め手になる証拠はない。
ここでは、珍皇寺というお寺は平成になってから名前の読み方に変化がおきたという事実が指摘できるのみなのである。
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