冥界編ハイライト(その8)
〜いよいよツアーも最終コーナー。
ふふふ、衝撃の結末かもよ〜
【天上界のつづき】
前回で天人にだって食欲もあれば性欲もあるとご紹介した。ということは、天上界にもフーゾクがあるのだろうか? こういう疑問が湧いてくるだろう。
あるのです。
そこを戯女市という。
そこで行われていることは我々人間界と同じ。公式か非公式かは別として、こういう施設が無いことには欲望のはけ口を求める者たちが性犯罪に走ることになる。天上界も大変なのだ。ただし、天上界でもさらに上のほうに行くとだんだん煩悩が離れてきてエクスタシーを感じるための激しさが影を潜めてくる。
夜摩天では「本番」に至らなくても軽く抱き合うだけでエクスタシーに達するという。その上の楽変化天では微笑み合うだけでイクのだそうで、さらに上の他化自在天では何と見つめ合うだけでイッてしまうのだとか。
みなさん、こんな天上界に生まれ変わりたいですか?
欲界の上には色界というのがある。天上界というのは上には上があるのだ。
欲界にはまだ淫欲と食欲の二つの欲望がある。セックスもグルメもあるということ。しかし色界ではこの二つは克服されている。「色」の世界に「色魔」は存在しないのである。但し物質的な欲はまだ残っている。ところが色界よりまだ上の無色界に至るとその物質的な欲も無くなり精神作用のみになる。
「天国良いとこ一度はおいで。酒は美味いし姐ちゃんは奇麗だ」と唄うどころか、精神だけになってしまう。じゃあ何も無いのと一緒ではないのか。
こんな所に生まれ変わりたいですか?
色界の一番てっぺんを有頂天という。現世では「得意の絶頂にある」ことを「有頂天になってる」と言うが、本当に舞い上がって有頂天まで行ってしまうと精神だけになる。「酒は美味いし姐ちゃんは奇麗だ」と浮かれているうちはまだ有頂天ではないのである。
どうも天上界というのは我々が思っているほど「良い所」ではないのかもしれない。え? 欲界に生まれ変わりたいですか?
【畜生界を覗き見】
ここで六道輪廻のひとつ、畜生界を覗いてみよう。
畜生といえば「犬畜生」とか「畜生!」と悔しがるとか、現代でも使われている。で、この「畜生」だが、鳥類、獣類、虫類だそうである。現世での行いが悪いと、この三つの中のどれかに生まれ変わってしまうかもしれないのだ。
あれれ、おかしいぞ? と思われた方は正解です。私もおかしいと思う。
魚類がない!
魚は畜生の内に入っていない。ではどこに入っているのか? というと、どうもどこにもないようなのである。つまり、
誰も魚には生まれ変わらない!
ここで「ギョ!」と驚くのはベタであるな。
しかし、生まれ変わりの輪に入っていないということは、魚というのは何なのだ!? 魚は輪廻転生を超越しているのであろうか。
うーむ、興味は尽きない。
【餓鬼界を通過】
六道輪廻のひとつ、餓鬼界について。
「このガキ〜!」とも言われたりするように結構なじみの深いものだが、本物の(?)餓鬼というのはどのようなものなのか。
何と餓鬼にも階級がある。一番下は「無財餓鬼」で、この餓鬼は食事を取る事が出来ない。どんなに腹が減っても何も食べることが出来ないということ。かといって飢え死にするわけでもないから、飢餓の苦しみが延々と続くのである。嫌ですねえ。
なるほど「餓鬼」つまり「飢えた鬼」とはよく言ったもので、寿命が尽きるまで飢えの苦しみが続く。こんな所に生まれ変わりたくないですねえ。
真ん中の階級が少財餓鬼で、この餓鬼はものを食べることは出来るのだが、その食べ物というのが糞尿、嘔吐物、死肉、自分の脳みそなど。うわ〜っ、食べたくありませんねえ。
一番上の階級は多財餓鬼で、この餓鬼は普通にものを食べることが出来る。これなら何とか耐えられそう。
それにしても、同じ餓鬼に生まれても階級によってかなり差があるのだな。これじゃあ人間と変わりません。
ところで、皆さんは餓鬼の絵を見たことありませんか?ガリガリに痩せているのに腹だけが風船みたいに膨れ上がっている。
ところで、皆さんはアフリカ辺りで飢餓に苦しむ人の写真を見たことありませんか? ガリガリに痩せているのに腹だけが風船みたいに膨れ上がっている。
一緒やないか。つまり、平安時代には飢餓に苦しむ人たちが街中にいたということ。平安時代の絵巻に登場する餓鬼というのは実在したのである。平安絵巻って、リアルな描写をしていたのだ。
王朝の雅といわれる平安時代にあって、社会のどの階層からもこぼれ落ちた人たちが栄養失調から変わり果てた姿になって平安の街中を徘徊していた姿こそが「餓鬼」なのである。多財餓鬼とは何とか食べ物にありつくことが出来た者たちである。少財餓鬼とは食べ物が手に入らず、思い余っておよそ人間が食べるものではない物を食べて飢えを凌いだ者たちである。無財餓鬼とは結局食べ物が無かったものたちである。その行き着く先は等しく死であった。
天上界も修羅も地獄も、あるかないかは分らない。しかし餓鬼界は実在したのである。そしてその世界は他でもない、人間界の中にあったということだ。
【最後に人間界】
最後はやはり六道輪廻の残り、人間界である。
人間界は須弥山世界にあるわけだが、その須弥山には四つの大陸があり、我々が住んでいるのはそのひとつである。つまり、残る三つの大陸には我々とは違う人間が住んでいる?
ガリバー旅行記に出てきた小人の国や巨人の国があるのかもしれない。ということは、今度また人間界に生まれ変われるとしても、そこは今暮らしているこの人間界とは違うかもしれないのだ。要するに、死んだ後どうなるかは誰にも分からない。故に、何も気にしないのが一番いい?
人間界とはどんな所だろうか。そう、期待は裏切られる、目論見は外れる、過ちは気付いた時には遅い世界である。
極楽へ行けると思っても、期待は裏切られることもある。真面目に信心しているから大丈夫と思っても、目論見は外れることもある。だいたい、過ちというものは気付いた時には遅いもの。気付かなければ正すことは出来ないが、気付いたときには遅いのであれば、まるまるアウト。
こんな所に生まれ変わりたくありませんねえ、ったってもうその世界で生きているよ〜。
みなさん、今度生まれ変わる時は、どの世界が良いですか?
【言っておきたい古都がある・50】