キツネとタヌキはどちらが悪い(その10・最終回)
~締め括りはカチカチ山のタヌキ~
前回はキツネの話だけだったでタヌキに戻るが、マヌケだけれどもどこか憎めないというタヌキにも例外がある。非道の限りを尽くしたタヌキとは、
カチカチ山のタヌキ。
これは日本の昔話の中でも超弩級の残酷さだろう。
業を煮やした老人は罠でタヌキを捕まえると、老婆に狸汁にするように言って畑仕事に向かった。
タヌキは「もう悪さはしない、家事を手伝う」と言って老婆を騙し、縄を解かせて自由になるとそのまま老婆を杵で撲殺し、その上で老婆の肉を鍋に入れて煮込み「婆汁」を作る。そしてタヌキは老婆に化けると、帰ってきた老人に狸汁と称して婆汁を食べさせ、それを見届けると嘲り笑って山に帰った。
これが前半。
人間が人間を食ってしまうのである。その時点で老人が発狂しても不思議ではないお話だな。
今までのキツネとタヌキは最初から何かに化けて出てきているが、このタヌキは正体を隠すこともなく嫌がらせを続けている。まるで老夫婦を立退かせようとするかのようだ。
そう、タヌキはかつてバブルの時代に流行った地上げ屋の元祖であった。
こう考えれば納得がいくかも。
捕まってからも人の良いお婆さんを騙して縄を解いて貰ったのだからそのまま逃げれば良いものを、何を思ったか老婆殺害に及び、しかも死体損壊(料理した)という蛮行にまで及ぶ。
キツネでここまでやった奴はいません。
ここまでやるとタヌキも退治されたって仕方が無い。
「桃太郎」では「鬼は何も悪い事をしていない」と屁理屈をこねる人たちがいますけど、「カチカチ山」の場合はそれが出来ないのでお気の毒。
ただ、この話の「超弩級」性は後半の復讐劇にも及ぶ。
カチカチ山の後半、ご存知のように今度はタヌキが悲惨な目にあう。
まずウサギは親しげにタヌキに近づき、金儲けを口実に柴刈りに誘う。その帰り道、ウサギはタヌキの後ろを歩き、タヌキの背負った薪に火打ち石で火を付ける。火打ち石の打ち合わさる「カチカチ」という音を不思議に思ったタヌキがウサギに尋ねると、「ここはカチカチ山だから、カチカチ鳥が鳴いている」と答えられる。結果、タヌキは背中に大火傷を負うこととなったが、ウサギを疑うことはなかった。
後日、何食わぬ顔でウサギはタヌキの見舞いにやってくると、良く効く薬だと称して芥子の汁をタヌキに渡した。これを塗ったタヌキは更なる痛みに散々苦しむこととなったが、やはりウサギを疑うことはなかった。
タヌキの火傷が治ると、最後にウサギはタヌキの食い意地を利用して漁に誘い出した。まず湖畔に木の船と一回り大きな泥の船を用意し、「たくさん魚が乗せられる」とタヌキに泥の船を選ばさせ、自身は木の船に乗った。沖へ出てしばらく立つと泥の船は溶けて沈んでしまい、タヌキは溺れてウサギに助けを求めた。しかし、ウサギは逆に艪でタヌキを沈めて溺死させ仇を討った。
こうなると、タヌキは最初に狸汁にされて食われていたほうがマシではなかったか?
『今昔物語』などに出てくる憎めないタヌキたちはアッサリ退治されてしまうが、憎むべき残虐なタヌキも退治されてしまう。どっちにしろ退治されるわけだからタヌキというのはやっぱりマヌケなのか。
だいたい、2回も騙されているのに何ら疑うことなく最後はウサギに殺されてしまっている。これではタヌキ自身が騙して殺したお婆さんと同じぐらいお人よし(ん、お狸よしか?)ということになるのではないか。
それにしても、ウサギはなぜ老人に変わって復讐をしたのか。
老夫婦が可哀そうと思っただけでここまで残酷なことが出来るか。
いやあ、出来ないだろう。だとすれば。。。実は、
ウサギはお爺さんからお金をもらっていた!
そう、金で復讐を請け負ったのだ。「出来るだけ苦しみを味合わせて殺して欲しい」と。
正に金で恨みを晴らす殺し屋だな。
それはともかく、余談だが、日本で裁判員制度が導入されるとき、このウサギさんは日本各地で裁判員制度の模擬裁判にかけられ、タヌキ殺害の罪で懲役9年から12年を言い渡されているそうである。
しかし模擬裁判にかけるべきはタヌキではないのかな。
タヌキの悪行を不問にしてウサギの行為だけを断罪するのは不公平だと思う。
まあ、それがちゃんと斟酌されたからウサギは死刑にならなかったのかもしれないが。
もっとも、お伽噺の中の動物を勝手に模擬裁判にかける人間の行為のほうがもっと理不尽かもしれませんけどね。
「キツネとタヌキはどちらが悪い?」(完)
【言っておきたい古都がある・413】