初夏の花がお揃いの、山科は勧修寺氷室池
町名は「かんしゅうじ」であるが、
寺名は「かじゅうじ」とフリ仮名されている。
つい、町名で呼んでしまう。
平安神宮の無料公開がある頃、勧修寺の花菖蒲は見ごろとなっているはずと、氷室池に足を運ぶ。
青鷺がどうしているかも気になるところだ。
この「氷室池」は、山科区内でも有数の水面らしく、冬にガンカモ類などが羽を休め、水鳥の定点観測地にもなっているそうだ。因みに、山階鳥類研究所を創設した国際的な鳥類学者・山階芳麿博士は、勧修寺の門跡を江戸時代末期から継承していた山階宮家の出身である。
「氷室」の名は平安時代、池の氷が五穀の豊凶を占うために宮中に届けられたという伝承があるためで、庭園は別名「氷池園(ひょうちえん)」と呼ばれる。
『勧修寺縁起』等によれば、当寺は昌泰3年(900年)、醍醐天皇が若くして死去した生母藤原胤子の追善のため、胤子の祖父にあたる宮道弥益(みやじいやます)の邸宅跡を寺に改めたもので、胤子の同母兄弟である右大臣藤原定方に命じて造立させたという。胤子の父(醍醐の外祖父)藤原高藤の諡号(しごう)をとって勧修寺と号した。開山は東大寺出身の法相宗の僧である承俊律師。代々法親王が入寺する宮門跡寺院として栄えたが、1470年(文明2年)兵火で焼失して衰退し、江戸時代に入って徳川氏と皇室の援助により復興された。
宸殿から本堂へと向かい、新緑の氷池園を抜けると空が開け、氷室池である。池端の観音堂が開帳されている。
宅地開発が進み、名神高速道路も近くを通っているのだが、奥行き深く周囲を竹林などで植栽が施され、それらの騒音や、つや消しの景色を微塵だに見せず、東山と醍醐の山々を借景した別天地のようである。
明正院の御対面所を移した宸殿(京都市指定文化財)、後西院の旧殿を移した書院(国指定重要文化財)など貴重な宮中の建築物も然ることながら、季節の花に彩られた氷室池の散策に心が安らぐ。
梅雨が明けるころには・・・蓮の花を見せてくれるだろう。
京都市山科区勧修寺仁王堂町27−6
075-571-0048