共産党の市長のほうが面白かったろうに(後編)
~共産党の市長でも京都は大丈夫~
さて、蜷川虎三が変節なんてするはずがないと分かった後でも自民党は蜷川に協力した。何故か?
その頃には自民党に佐藤栄作という総理大臣が誕生した。v
その佐藤栄作の最大のライバルと言われたのが京都の前尾繁三郎である。政治家としての実力、見識ともに十分で、いつ総理大臣になってもおかしくない人だった。つまり佐藤栄作の地位を脅かす政治家だったわけである。
その前尾さんが総理大臣になれなかったのは、蜷川虎三が京都府の知事だったというのが最後まで響いたのだった。
そりゃそうだろう。総理大臣にでもなったろか、という人が地元の知事を共産党に取られたままでは困るのだ。蜷川共産党府政を倒すことが出来なかった。これが原因で前尾さんは総理大臣の座に手が届きながら、その地位を掴むことが出来なかったのである。
さて、こうなると佐藤栄作にしてみれば、最大のライバル前尾繁三郎を抑え込んでおくために、共産党の蜷川虎三が知事のままでいてくれるのは都合がいいわけである。
前尾さんは池田勇人総理の子分で派閥の継承者だったが、その人と総理の座を争う佐藤栄作にとって「地元の知事を共産党に取られたままではないか」というのは格好の攻撃材料であった。そして総理になった後も同じである。
よって自民党の佐藤派に繋がる京都府会議員たちは口では何と言おうとも、陰では蜷川虎三に協力した。こんなこと、自民党の人は決して認めないだろうが、私はこれだと確信している。
こう考えないと蜷川時代に京都府の予算が毎年きっちり年度内に成立していたことの説明が付かないのではないか。それとも臆面もなく「その当時の自民党は共産党府政に対して是々非々で対応する立派な政党であった」と綺麗ごとを言うか?
蜷川虎三が知事の時代、自民党と共産党には接点があった。これが28年間続いたということは、その「遺産」は現代でもあるということではないのか。
故に、共産党が市長になっても京都はビクともしない。
さらにもうひとつ、根拠を挙げよう。
今、共産党の国会対策委員長をやっているのは京都の穀田恵二さんである。穀田さんは共産党の国会対策委員長を20年以上もやっていて、3年ほど前に穀田さんの国対委員長在任20年のお祝いパーティーが京都市内のホテルであったのだが、その席上には共産党関係者だけではなく、自民党の二階俊博幹事長も出席して祝辞を述べているし、穀田さんと同じ選挙区で議席を争っている自民党のの伊吹文明代議士もやって来てお祝いのスピーチをしている。京都ならではの現象だ。
さらに穀田さんの前にも共産党の国会対策委員長をやっていた京都の人がいる。寺前巌さんである。寺前さんというのは自民党の人からも
「寺前というのは、共産党にしてはいい男でね」
と言われた人物であった。
国会対策委員長として活躍しているのだな。
そんなことが出来たのも寺前さんが京都の人だったからだろう。京都の共産党は蜷川府政28年間の与党経験が生きているのだ。だから自民党相手でも腹を割った話し合いが出来る。
故に共産党が市長になっても京都はビクともしない。
私が保証する。太鼓判!。
それと、蜷川虎三が知事を28年も務めたから、かつて京都は「革新の街」とか言われたが、それは違うと思う。
考えてもみてほしい。同じ人を28年間も知事のままにしておくというのは保守以外の何でもないではないか。だから蜷川虎三が落選することなく知事を引退したら、次はあっさりと保守の知事が誕生したのである。このあたりにも考え違いがある。
何はともあれ、共産党が市長になっても中央との結び付きはある。よって心配することはない。だから私は共産党市長の誕生を秘かに期待したのだが、残念。
だいたい、共産党が市長になったほうが面白いだろうに。それが正しいのではなくて、楽しいのである。ぬるま湯に熱湯をぶち込んで、日本中に活を入れたら、社会が騒然として毎日の生活が刺激的になったのではないか。
共産党なんて怖くない。4年後に期待しようか。
【言っておきたい古都がある・374】