京都五花街には無形文化財の価値がある
~花街も芸舞妓も生きた文化財ではないか~
先だって自民党の国会議員30人が集まり「料亭文化振興議員連盟」を発足させた。会長は衛藤征志郎氏。
来月には東京都内の料亭で総会を開き、料亭関係者を招いて勉強会を開く由。
これって、どう考えても料亭で遊ぶだけやろう。「料亭関係者」というのは芸者さんや地方さんに違いない。
日本というのは平和な国だと、つくづく思う。
しかしこの議連、野党の人も入れてあげなければ気の毒ではないかな。
それに、料亭が文化だというなら京都に来い、と言いたい。
芸妓さん、舞妓さんのいる京都五花街こそ、無形文化財の価値があるのだ。
京都の場合、ひとつに纏めて「花街」と言ってはならない。それぞれが五つの独自の個性を持っているからである。五つの違う歴史と文化があるわけだ。
まず名前が違う。
祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町、上七軒。
これらは地名でもなければ通称でもない。各花街の固有名詞である。人の名前と同じだと思わなければならない。
そしてシンボルマークが違う。
祇園甲部は赤い提灯に白い団子がぐるっと一周している。
祇園東は赤い提灯に白い団子が輪になっている。
先斗町は都千鳥で、鳥が飛んでいる。
宮川町は輪が三つ交差している。
上七軒は色が反転して白い提灯に赤い団子が一周している。
さらに踊りの流派と発表会の名称が違う。
祇園甲部は井上流で都をどり。
祇園東は藤間流で祇園をどり。
先斗町は尾上流で鴨川をどり。
宮川町は若柳流で京おどり。
上七軒は花柳流で北野をどり。
全て違うのだから、やはり「通」を目指す人には五つ全部見てもらいたい。
そして、いささか傲慢だが、ひとつ見ただけで「蘊蓄」を傾けないでいただきたい。やはり「五花街知ったかぶり」になろうと思えば全部見て違いを味わいたいものである。
これらの花街の個性と文化を維持継承するために、芸妓さんも舞妓さんも連日稽古に励んでいる。毎日毎日、稽古稽古稽古である。ただ綺麗な恰好をして歩いているだけではない。外部の者には分からないところで汗を流して努力しているのだ。
故に、真昼間、お座敷に出るような格好で街中を歩いているのは全部ニセモノの変身舞妓と思っていい。本物はみなさんお稽古である。
この変身舞妓も以前はかなり問題があったようだが、最近は業者との申合せも出来たのか、あまりクレームを聞かなくなったようだ。まあ今でも大変なんだろうとは思うけど。
それでもまだ勝手に写真を撮る人がいて、花見小路の一部ではついに写真撮影禁止になった。これも仕方ないだろう。写真を撮るどころか、お茶屋の敷地内に無断で入る人もいた。こういうマナー違反も取り締まらねばならない。観光客の我儘を許すのが「おもてなし」ではないのだ。
だいたい、お寺の内部や襖絵を勝手に写真に撮ってはいけないのと同じで、舞妓さんを勝手に撮ってはいけないのである。事実上の無形文化財保持者ですよ。生きた文化財である。文化財を許可なく撮影してはいけません。これは常識。
舞妓さんのどこが凄いのか。
アメリカ人の「タフネゴシエーター」と言われるような、ゴリラみたいないかついオッサンでも、舞妓さんを呼んでやると「ふにぁ~っ」としてしまうのである。
これが文化の力だ。
「舞妓さんは見るもの。芸妓さんは遊ぶもの。喋って面白いのは地方さん」という話を聞いたことがある。なるほど、と思ってしまった。。
全て文化である。
庶民には高嶺の花と言うなかれ。
たとえ一生行く機会はなくとも、その世界に対する憧れを抱かせるだけて文化なのだ。
京都五花街には無形文化財の価値がある。
過去から現在に続き、現在から未来に継承していく生きた文化財で、どの時代でも同じように生きているわけで、古くはならない。時代とともに変遷はしても、時代が変わろうが五花街は変わらない。もちろん微妙な変化はあるのだろうが、絶対にブレてはいけない核の部分は微動だにせず、それぞれの時代に応じて柔軟に対応してきたのが京都五花街ではなかろうか。だから昔からやって来ていることが決して古びないのである。
時代の要請は受け入れつつも、時代には媚びない。そんな矜持を京都五花街は持っているのではないか。私はそんな風に考えている。
【言っておきたい古都がある・371】