四千年の知恵(その24)
~やはり邪魔者は消すのだ~
中国、明朝第3代の皇帝・永楽帝(在位1402~24)はその22年にわたる治世の華々しい対外積極政策で知られ、中国史上もっとも活気にあふれた時代を築いた。
と教科書に書いてあるのは本当だが、その帝位は簒奪、つまり不当に奪い取ったものだった。
初代の洪武帝は有力な部下に皇位を簒奪されるのを恐れ、藍玉ら建国以来の有能な将軍を次々に誅殺した。
中国4千年の知恵。疑心暗鬼。って、これは知恵ではないですね。やはり「邪魔者は消せ」かな。
第2代皇帝に即位した建文帝は側近の方孝孺らとともに皇族の力を弱めることを画策し、皇族を庶民に落としたり、焼身自殺たりさせ、流刑にしたりした。
これに危機感を持った叔父さん(後の永楽帝)がこれでは自分の身も危ないと、クーデターを決行したわけである。
建文帝はその際の混乱により行方不明となった。
ご多分に漏れず、これには生存説もあるが、まあ実際には殺されるか自殺したかだろう。まあ、ひょっとて、生きているだけで儲けものとばかりに、その後はひっそりと暮らしたのかもしれないが。でもやはり生きていたら反撃の機会を窺ったに違いない。やっぱり死んだのだ。
さて、皇帝に即位した永楽帝は建文帝の側近だった知識人の方孝孺に即位の勅を記す事を命じたのだが、喪服を着て現れた方孝孺に簒奪を非難され、激怒し方孝孺と一族を皆殺しにした。
その処刑は方孝孺の使用人、門人にまで及び、「滅十族」と称された。
あまりの徹底振りに「国から知識人がいなくなる」と言われたそうである。
鉄鉉という人は永楽帝を罵倒して八つ裂きにされ、その妻も惨死させられた挙句、遺体は永楽帝じきじきの命令により犬に食わせられた由。
また卓敬も永楽帝の再三に渡る任用の勧誘を断って死刑になった。
確かに殺すほうも殺すほうだが、殺されるほうも殺されるほうで、新しい皇帝が「ブレーンになってくれ」と言ってくれてるのに、その「就職」を断っちゃってる。
わが国の明治維新と比べてどうです。
榎本武明は戊辰戦争の首謀者だったのに、明治政府に就職して栄達しているぞ。
節を曲げずに殺されるのが立派か。
生き延びて国の役に立つのが立派か。
中国4千年の知恵では死ぬほうが良いみたいだな。
日本なら、それは「アホちゃうか」ということになるのかな。
古代中国でも皇帝直々の要請で宰相になってくれと言われた在野の賢人が「自分は政治などという汚いものはやりたくない」と断って帰ってしまった。
その時、皇帝の側近は憤慨して「あの者を捕らえましょうか」と訊いたのだが、当の皇帝自身は
「いやいや、待て待て。昔から優れた皇帝には国家存亡の危機に際して皇帝自らが出向いて行って教えを請う賢者がいたものだ。今の男もそういう賢者の1人なのだろう」
と言って勝手に納得していたという。
まあ、こちらのほうが大物だとは思う。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・364】