四千年の知恵(その12)
~韓信さん、股くぐりの末路は悲惨だった~
前回の続き。キリスト暦前201年、韓信さんは楚王の位を取り上げられ、淮陰侯となった。
それから4年、韓信さんは劉邦に拝謁もせずに不貞腐れて暮らしていたのだった。
そうこうする内に韓信さんと親交のあった陳さんという人が鉅鹿太守に任命され、任地に旅立つ前に敬愛する韓信さんに別れの挨拶を述べに来た。
そこで韓信さんは陳さんに謀反をそそのかしたのである。
「信任厚い君が謀反を起こしたと報告があっても、陛下はすぐには信用しないだろう。二度の報告で君の謀反を疑うだろう。三度目の報告が来れば間違いなく陛下自ら兵を指揮し、君を滅ぼしに出撃するだろう。その時、私は内部で立ち上がって都を占領する」
言われた陳さんはその気になって、 韓信さんと密約を結んだ。
そして任地で約束どおり反乱を起こしたのである。
韓信さんの言った通り、劉邦は三度目の報告で激怒し自ら兵を率いて都を出た。
そして韓信さんははいつも通り仮病を使って従軍せず、陳さんに密使を送った。「予定通りやるよ」と。
韓信さんは夜中に自分の家臣と一緒に勅命だと偽って諸官庁の囚人や労務者を解放し、呂后と皇太子盈を襲撃する計画を立てた。
ところが、この計画が漏れちゃったのだ。
韓信さんに恨みを持つ下僕がこれを呂后に密告したため、計画は事前に発覚した。
と『史記』には書いてあるのだが、実際は韓信さんの家臣にも密偵が混ざっていたのだろう。劉邦だって監視の目は怠らなかったはずだから。
この段階になって呂后は蕭何に相談した。
韓信さんは自分の計画がバレているとは気付いていない。
どうすれば韓信さん一人をおびき出すことが出来るか。
中国4千年の知恵、権謀術数が尽くされるわけである。
さて、韓信さんは陳さんをそそのかして謀反を起こさせ、その制圧の為に劉邦が都を留守にした隙を突いてクーデターを目論んだものの、その計画は露見していた。
そうとは知らない韓信さんをおびき出すため蕭何は一計を案じ、陳は負けて誅殺されたとの偽情報を流した。
その結果、諸侯や臣下たちはみな祝賀を述べに参内する。
韓信さんは、陳は失敗したかと早合点。病気と称して引きこもってしまった。
これは仕方ないな。携帯なんか無かった時代の話だから。
謀反人の討伐が成功したというので、長安在住の諸侯は祝辞を述べる為に次々と参内した。
ここで蕭何は韓信さんに伝えたのである。
「病気であるのは分りますが、無理にでも参内して祝賀を申されほうがいいですよ」
何もかもバレてるとは夢にも思わない韓信さんはこの「アドバイス」に従って参内してしまった。
呂后は韓信がやって来ると、潜ませていた屈強な護衛兵に韓信を取り押さえさせ、あっという間に逮捕。韓信さんは鍾室(釣鐘を安置している室)に連行されてしまった。それでどうなったかというと、もちろん死刑である。
韓信さん、残念でした。
結局、将来の大望の為にあえて「股くぐり」までしたわりには悲惨な結末である。
これなら恥を忍んで股くぐりなどしたくないな。
考えようによっては一番お気の毒なのが韓信さんに唆されて謀反を起こしてしまった陳さんだろう。おそらく、たとえ計画が成功して韓信さんが勝利者になったとしても、陳さんの命運は終りだったに違いない。唆されて謀反人になるようなオッチョコチョイは事が成れば粛清される。
狡兎死して走狗煮らるる。これも中国4千年の知恵なのだ。
尻馬に乗って提灯持ちをする支那の走狗は用済みになれば煮て食われると。何と言っても「机と椅子以外の四つ脚は全部食べる」お国柄なわけですから。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・352】