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    京都ミステリー紀行

    家尊人卑(その27)

    ~北政所にとっての「家」とは何だったのか?~

     さて、武家が「家」の本家本元だとすれば、「立派な家」のなかった人はどうなるのか。

     

     日本史上の有名人、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は3人とも日本国が続く限り話題になる人たちだが、織田信長と徳川家康が元々「立派な家」の人であるのに対して豊臣秀吉は違う。「家柄」が良くないので譜代の家臣団もいなかった。秀吉の武将は信長政権下での同僚や先輩たちであった。
     天下を取ったのだから日本中が全部豊臣家の物になったのかというと、秀吉は各戦国大名の所領を基本的には認めている。
     いちおうみんな豊臣家に臣従しているのだが、徳川も毛利も島津も上杉も伊達も「まあ、しゃあない」と思っていたのだろう。とにもかくにも戦争の時代は終ったのだし。「立派な家」の大名たちにとって豊臣家に頭を下げるというのは「平和を維持するためのコスト」だったのかもしれない。

     天下を取った秀吉は関白になり太政大臣になるが、自分が本当は貴種の生れであるとする『素性記』を作らせている。
     やはり「家」の意識が強いのでそれが無い人はでっち上げてでも「家」を造ろうとするのだろうか。

     ところが、秀吉はでっち上げなくてもいいのにその機会を自ら潰している。

    豊臣秀吉

     秀吉が関白に就任する時、伝統に従って一度は近衛家の養子になる手続きをしているが、太政大臣になると藤原姓を捨てて「豊臣」という新しい姓を作った。別にそのままお公家さんの仲間入りをしてもよかったのに。
     既存の「家」よりも新しい自分の「家」を造ったというのはやはり自分の力で政権を取ったからというプライドかもしれない。
     長く続いてきたから「立派な家」になるのが普通かもしれないが、秀吉はいきなり「立派な家」を造ったことになる。
     しかし「伝統」のない「家」がそのまま続くのは大変なようで、意外な人がその「家」を見限る事になる。

     というのも、関が原の戦いのとき北政所は徳川を支持しているのだ。加藤清正や福島正則のような「武断派」が徳川につくよう根回しをしたのも北政所だった。そして関が原といえば有名なのが「小早川秀秋の裏切り」だが、これも北政所の命令によるものだったのである。

     政所のお兄さんが木下定家だが、その子供が上から勝俊、利房、延俊、俊定、秀秋となる。養子に行ったので小早川秀秋になったが、本来は木下秀秋だったのだな。

     関が原の前哨戦ともいえるのが伏見城の攻防だが、このとき長男の木下勝俊くんは鳥居元忠と一緒に伏見城を守る側だった。これも北政所の言いつけによるものである。一方、攻めてくる西軍の中には養子に行った小早川(旧姓木下)秀秋くんがいた。
     ご承知のように伏見城は落とされ鳥居元忠は死んで、その血は養源院の血天井となって残っている。
     
     ちなみに勝俊くんは敵側に弟がいるのを知ると「身内を取るか忠義を取るか」と悩んだのかどうかは分らないが、ジレンマの果てに伏見城から逃げ出して木下定家の所へ行ってしまう。その時、定家さんは三本木にいた北政所の警護に当っていた。
     つまり勝俊くんはお父さんと叔母さんのいるところへ逃亡したのだな。

     秀秋くんも伏見城を落とした後、三本木に北政所を訪ねているが、自分が西軍に味方した言い訳が、

    「叔母さんに言われたとおり伏見城を守るつもりで行ったんだけど、鳥居元忠さんに入城を拒否されたので仕方なく西軍に加わって伏見城を攻撃したんだよ」

    というもの。
     これに対して政所は、

    「あとで内府どのに内応せよ」

    と、厳しい口調で「家康に寝返れ」と命じている。
     秀秋くんもすぐさま家来を2人、家康の下に派遣して東軍に味方する事を約束した。

     この時点で小早川秀秋が裏切る事は確定していたのである。

    絹本着色高台院像(高台寺所蔵)北政所

     「次の政権は徳川が取る」とい読みが北政所にあったとしても、豊臣の味方が負けるように仕向けるとは、どういうことだったのか。政所が見限った「豊臣家」とは何だったのか。

     何はともあれ、北政所は関が原の戦いに際して豊臣派である石田三成ではなく、徳川家康を支持した。
     これは「時代は徳川に向く」というふうに見切ったと評する人もいれば「北政所が徳川を勝たせた」と評する人もいる。
     しかし政所が見限ったのは淀君とその一派であろう。
     関が原で勝利した家康が政権を取っても豊臣家は存続するだろうと思っていたしいうこと。

     しかしご存知のように関が原から20年近くもたって破局が来る。

     徳川家康は方広寺の梵鐘にあった「国家安康」の文字にいちゃもんをつけ、豊臣秀頼に大阪城を明け渡し国替えをするか、淀君か秀頼のどちらかが人質となって江戸に行くかを迫った。

     大坂から駿府に行った片桐旦元は家康の罠にはまったようなもので、大坂に帰って事態を報告すると逆臣と見做されて放逐されてしまった。
     家康の提案を持ち帰った旦元を追い出したのだから、それが「提案拒否」の意思表示であるという理屈で家康は諸大名に出陣を命じたのである。
     秀頼も豊臣シンパの大名に檄を飛ばして籠城の準備に入った。

     同じ時、北政所もじっとしていたわけではなく、高台寺を出て大坂に向かっていたのである。
     秀頼らとともに大阪城に籠城して家康に決戦を挑むか。
     家康の要求を入れて苦渋の平和を選択するよう淀君らを説得するか。
     政所の胸中は如何なるものであったのか。

     ところが、政所は鳥羽まで来たところで何故か高台寺に引き返している。
     どうしたのか?

     何者かに行く手を阻まれて仕方なく引き返したのか?
     途中で気が変わったのか?

     可能性としてはこの二つが言われているのだが、私はもうひとつ提出したい。
     どなものかは来週に続く。

    【言っておきたい古都がある・302】

     

    谷口年史

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    谷口 年史(たにぐち・としふみ)

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