家尊人卑(その18)
~母よあなたは強かった~
前回は武家の娘を紹介したが、今回は「母」である。
「父あなたは強かった」というのは戦時中の歌だが、ここでは「母が強かった」というお話。
姫路藩藩主・榊原正房の奥さんの話。名前は分らない。備前藩主・池田光正の娘であった。恐らく「○○姫」とか「お方様」とか「政倫の母」だけで通じたので名前などどうでもよかったのだろう。
正房さんは27歳で他界し、3歳の政倫が跡を継いだのだが幕府から越後村上への移封を命じられた。この「引越し」に采配を振るったのはお母さんだったのである。城代家老ではなかった。
大名の国替えに3歳の主君では仕事にならないのは分るが、男が代理をするのではなく、お母さん(死んだ藩主の正室)が主導権をとった。
これが男尊女卑ですか。
それとも、奥方は並み居る男たちを前にして「よきに計らえ」と言っていたのでしょうか? それならお笑いだが。どうもそうではないようである。
お母さんの教育がよかったのか、政倫くんは立派な大人になり、幕府の覚えもめでたかった。
水野隼人正が不祥事で改易された時、政倫くんはその城地受取を命じられたが、重責をそつなくこなした。
ただ、政倫くんがそのお仕事で留守中に江戸で火事が起きた。
下屋敷にいたお母さんは「今こそ(幕府の)御用にたちて家の名を上げるべく心得よ」と家老に言い、老中に使者を出して火消しに参加したいと伝えたのである。
老中からの返信は「池之端を担当せよ」
この命を受け、お母さん張り切った。
その「出陣」の出で立ちは。
緋縅の鎧に白檀の籠手、紅梅の衣をかつき(頭から被った)火事羽織りをはおり、七枚綴の頭巾を着用していた。
火の粉を被ってもいいよう万全のガードであるな。
しかも馬に乗ってその周りを長刀を持った近習の女性たち(!)で固めさせ、行列を作って火事現場へと向かった。
よろしいですか、馬にまたがっていたお母さんの周りを固めていたのは女性たちだったのである。
これが男尊女卑ですか。
大火の事で近隣の人たちはパニック状態になっていたという。
そこに政倫くんのお母さんが上記のスタイルでやって来た。
慌てふためいていた人たちは唖然として立ち止まり、行列を眺めていたという。
これはもう一種のショック療法ではないか。火事の恐怖におののいていた人たちは、やって来た女軍団を見て一瞬、何が起きたのか分からなかったのではないだろうか。ひょっとしたら自分の目が信じられなかったかもしれない。
お母さんが実際の消火活動にどれだけ貢献したのかは分らないが、パニック状態の人によって起こされる二次災害は未然に防いだようである。
このお母さんの活躍、というかハッスルの根本にあるのは「家」をまもること、「家」の存在感を見せることである。
男尊女卑ではない。
家尊人卑なのである。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・293】