家尊人卑(その13)
~やはり武家の女性には重要な役割があった~
今回も武家の世界は決して男尊女卑ではなかった、という話を続ける。
真田幸村といえば真田十勇士だが、ここではお兄さんの真田信之の奥さん、小松姫を取り上げよう。
小松姫も相当な美人だった由。有名人の奥さんって、みんな美人だったのでしょうか。凄いですね。
関が原の戦いのおり、奥さんの小松姫が本多忠勝の娘だったからか真田信之は徳川家康に付き、お父さんの真田昌幸と弟の幸村は石田三成に付いた。そして信之の本拠である沼田城は小松姫が出陣した信行の留守を守っていた。
ここでも城主が不在になった城を正室が守っている。前回の甲斐姫と同じパターンである。
これが偶然だろうか?
これが内助の功か?
城主が城を空ける場合は正室が主に代わって城を守った。正室にはそういう役割があった。そしてそれは象徴的な仕事ではなく職務権限を伴った。
こう考えるのが妥当ではないか。
さて、真田昌幸と幸村が三成方へ参じる途中、沼田の城下にさしかかった。城では小松姫が信之との間に出来た子供たちと一緒に留守を守っている。
ここで昌幸が城に使者を遣わした。
「これが今生の別れになるかもしれないので、そなた(小松姫)と孫たちの顔が見たい」
と頼んだのである。
で、小松姫はどんな返事をしたかというと、
「「わが殿(信之)は家康様の陣中にあり。たとへ父君弟君とはもうせ、今は敵のあなた様方を城内へお入れするわけには参りませぬ」
義父である昌幸の頼みをキッパリと断った。
信之は出陣したので兵力の大半は城から出ている。それに対して昌幸と幸村はこれから戦いに行くわけだから相当な兵力で来ている。
権謀術数にたけた昌幸をうっかり城に入れようものならどんな結果になるか。
小松姫の決断に迷いはなかったようである。
逆に考えれば、ここで小松姫が情にほだされて昌幸たちを城に入れようとしたら、城に残った信之の家臣たちには反対できなかったのではないか。正室の意向というのは城主の意向と同じであった。
これが男尊女卑ですか。
いやいや、家を守るのが第一。家尊人卑なのである。
さて、昌幸と幸村は仕方なく城下の正覚寺に入って休息を取った。
小松姫は家臣に命じて寺にいる昌幸一行を厳しく監視させている。
沼田城下の正覚寺で「休息」を取っている真田昌幸はその後も小松姫に対して、何とか孫に会わせてくれと重ねての使者を送った。
その時、城内で小松姫はどうしていたか。
今回の連載をここまで読まれてきた方ならもうお分かりではないだろうか。
小松姫は鉢巻を締めて鎧をつけ、長刀を持って城内に残っていた数少ない兵たちを叱咤激励していたのである。
「気ぃ抜くな~! ガンバレ~ッ!」とか叫んでいたのでしょうか。
これも甲斐姫と一緒であるな。
偶然ではなく、気が強かったわけでもなく、女性には本来こういう役割が与えられていたのではないのか? 女性にも「家を守る」という役割があったのだ。
そこに昌幸からまたもや使者が来た。「ぜひとも孫に会いたい」と。だから「ちょっとでいいからお城に入れてちょうだい」と。
ここで小松姫は再び決断する。
「「そんなに孫に会いたいならば、こちらからお伺いいたしましょう」
小松姫は子供たちを連れて昌幸と幸村がいる正覚寺へ自ら赴いたのであった。
確かに、純粋に孫の顔が見たいだけならば別に城の中に入る必要は無い。会うだけなら城の外でも出来る。
「今生の別れに私と孫の顔が見たいのなら、どうぞ見てください」と、昌幸を決して城に入れず、自ら乗り込んできた小松姫に真田昌幸は感服したらしい。
小松姫が城に帰った後、家臣たちに次のように言ったと伝わっている。
「「弓矢取る者の妻はこうでなければならぬ。われらが武運拙く討ち死にしようとも、あの嫁がいる限り真田の家は安泰であろうよ」
関が原では真田昌幸と幸村は負け組になった。
あたりまえなら命を奪われるところだが、徳川に付いた真田信之や小松姫のお父さんの本多忠勝の陳情があり、助命されて高野山麓の九度山に蟄居になった。このときの助命交渉でも小松姫が裏方で活躍したとも言われている。
蟄居させられた昌幸と幸村のもとには何くれとなく小松姫から内緒で物品の援助があったとか。
これが男尊女卑ですか?
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・288】