家尊人卑(その2)
~江戸時代、妻の財産は保証されていた~
前回に引き続き、江戸時代以前の日本は男尊女卑の社会ではなく、家尊人卑の社会であったという証明を続ける。
ご存知のように離婚は三行半という手続きで行われたが、離婚ではなく旦那さんが死亡した場合、あるいは勘当された場合、旦那さんのお父さん(奥さんから見ればお舅さん)が奥さんを離縁する権利を持った。
これは一見、奥さんを蔑ろにしているように思えるが、そうではなく、お舅さんが奥さんに対して再婚の権利を与えたのである。
息子は死んでしまったが、あるいは不品行で勘当にしたが、奥さんを何時までも未亡人のまま、あるいは夫なしのまま家に縛り付けておく事はしない。
奥さんが第二の人生を歩めることも出来た。
これが男尊女卑ですか?
ただ、この場合に返し一札が必要であったかどうかである。取り交わすべき旦那がいないわけですから。
必要がなければお舅さんの一方的な考えで離縁が出来たことになる。だとすれば、奥さんは旦那さんの家に残りたいと思っても追い出されるケースというのは有り得る。
しかし、この辺は史料不足で分らない。故にこの件に関しては保留しておく。ただし、私はお舅さんに返し一札を渡したのだと思う。
さて、次は男尊女卑に対する異論を財産の面から見て行こう。
奥さんがお嫁入りしてきた時に持参金を持ってきた場合、離婚の時この持参金を全部奥さんに返さなければならなかった。
えっ! 持参金って、旦那さんのものになるんじゃないの?
と思われるかもしれないが、持参金と言うのは旦那さんの管理下に入るが、あくまでも奥さんの財産である。正確に言えば「奥さんの家の財産」と言ったほうが良いかもしれない。この辺りも家尊人卑なのである。
だから離婚する時は全部返さなくてはならなかった。
「ぜんぶ使っちゃってもうないよ~」
という場合、離婚は出来なかった。
ただし、これにも例外があって、離婚しても旦那さんが奥さんの持参金を返す必要のないケースがひとつだけあった。
奥さんのほうから「離婚して欲しい」と言った場合。
この時は持参金を返さなくても良かった。
逆に言えば、持参金を放棄すれば奥さんから離婚できたわけである。まあ、何事にも例外があるということで、「離婚が出来るのは旦那の側からだけ」というのにも、こういう抜け道があったのだ。
地獄の沙汰も金次第。
さて、江戸時代には財産没収という刑罰もあったが、旦那さんがこの罰を受けたら奥さんの財産はどうなったのか。
奥さんの財産とは
①奥さん名義の諸道具。つまり奥さんの衣類や装飾品である。どうも女性だけが使うものはその女性に所有権があったようだ。
②奥さんの持参金と持参不動産。
③奥さん名義の不動産と現金。これは持参金とは別に奥さんが所有している不動産や現金である。奥さんの実家がお金持ちの場合はこういうケースも出くるのだ。
そこで、旦那さんが悪さをして財産没収になった場合だが、御定書百箇条の第27条で、
「妻子の諸道具は没収しない。
妻の持参金並に持参田畑家屋敷は没収する。
但し、妻名義のものは没収しない。」
とある。
奥さんのものであっても旦那さんの管理下にある持参金と持参不動産は没収になるけど、奥さん名義の道具や不動産、現金は没収しないのだ。
これが男尊女卑ですか?
ところで、この条文の始めは「妻子」とあって、奥さんだけではなく子供が使う道具(衣類や玩具)も没収されなかった。
これって、「人道的配慮」ではないのか。
少し余談になるが、江戸時代は持参金の事を「敷金」とも言ったそうである。あるいは「土産金」「化粧料」とも。
今、敷金と言えばアパートやマンションを借りる時に納めるお金のこと。
でも、本来は持参金と同じだった。
なるほど、敷金というのは大家さんの管理下に入るが、引っ越すときは返してもらえるので持参金と同じだな。
それから、既述のように、奥さんのほうから離婚を申し出たら旦那さんに持参金の返還義務はなかったが、現実には返す必要がなくても返した人がいるようである。この辺りは旦那さん本人の考え方次第だったように見受けられる。
さらにどうでもいいような余談だが、奥さんが持参金を持って嫁入りする場合、その婚姻をまとめた仲人さんは「報酬」として持参金の1割が貰えた。だから仲人をやりたがる人も沢山いたのである。
それどころか大坂では仲人屋という商売まで存在しており、井原西鶴の『本朝二十不孝』巻一や北条団水の『昼夜用心記』巻三第一に登場する。
現代でも結婚仲介のビジネスはあるが、江戸時代からすでにあったのだな。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・277】