論語の知恵(その1)
~日本に『徒然草』あれば中国に『論語』あり~
今回からまた古典の話に戻って、わが国ではなく中国の古典をネタにする。
日本と日本文化は大陸から大きな影響と恩恵を受けたわけだが、その伝統的な「中国」を現代に受け継いでいるのは大陸の中華人民共和国ではなく、俗に台湾と言われている中華民国である。伝統的な「大陸の中国」は文化大革命で終ったと見て差し支えなかろう。
それでも、「大陸の古典」は滅びない。
中共に嫌悪感を持ってもいいし、反中も大いに結構なのだが、大陸の古典まで無視してもらっては困る。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とも言うが、中国の古典文学というこんな面白いものを読まないのは損である。
そこでまず『論語』なのだが、私は小学校で英語を教えるということはやめて、代わりに道徳の時間で『論語』を教えろ、と言いたい。文科省検定済みの道徳の教科書など作る必要はない。振り仮名つきの書き下し文での『論語』を与えればよいのである。そして先生の後について音読する。道徳はこれだけで十分。まあ読み上げたことの意味は先生にかいつまんで解説してもらう必要があるけど。
そこで『論語』にはどんな面白いことが書いてあるのかをいつくか紹介していくことにする。
さて、『論語』というと、その中の有名な言葉には「朋(とも)、遠方より来る有り。亦(また)楽しからずや」とか「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」とかがある。一方、同じぐらい有名なのにいつの間にかいわれなくなった言葉もあって、たとえば
「学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし」(為政第二31)
学んで知識があっても相手の感情を思いやることが出来なければ何も分からないのと同じだし、思うだけで学ばなければ落とし穴に落ちる、ということ。
ひたすら平和を思い、社会を思い、子供たちの将来を思い、放射能のない世の中を思っても、客観的な事実を学ばなければ道を誤る。ただ思うだけでは、「原子力安全神話に騙された」人たちは、再び「自然エネルギー万能神話」に騙されることになりかねないし、軍国主義ファシズムに懲りたものの今度は平和主義ファシズムで滅びかねない。「もうマスコミには騙されない」と言いながらインターネットの記事にコロッと騙される人がいる。不肖この私も何度か騙されかけた。
要するに、「学ぶだけで思わないひとは冷淡」で「思うだけで学ばない人はマヌケ」だと思っておけば良いのではなかろうか。
ところで、この連載の246回目「徒然草の知恵」(その6)で『徒然草』での「よい友達、悪い友達」の話をしたが、孔子も同じ事を扱っている。ただ内容はかなり違って、
<よい友達>
①率直で正直な友
②誠実で裏表のない友
③博学多識の友<悪い友達>
①体裁屋で実のない友
②にこにこして人当たりはいいが信実でない友
③口先だけが達者な者
と、それぞれ3つを挙げているのだ。
ややっ、「良い友達」の中に「物をくれる友」が入っていない。この辺が兼好法師とは違うなあ。でも、「悪い友」の中に「酒を飲む人」というのも入っていないので、孔子はお酒には寛容だったか。
そこで、『徒然草』でもお酒の話を書いたが、孔子もお酒について何か言ってないかと探したら、「郷党第十244」に
「酒は量なし、乱におよばず」
とあった。つまり「酒を飲む分量は決めていないが、酔い潰れるほどは飲まない」ということです。乱れなければ大丈夫なのですね。これで安心。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・251】