暦は当たる。その秘密(その11)
~運勢は外れることもある~
さて、占いや暦の運勢は当るのかどうかを去年1年かけて検証した結果報告も、いよいよ最終コーナーに入った。クライマックスの年末にかけて、私の運命はどのように変転したのであろうか。
9月は昨年最大の月であった。暦の運勢が大きくぐらついたのである。
まず、月の運勢は「吉運」で、「盛運」の年の「吉運」の月であるから、これはもう良いことづくめと誰でも思う。ご託宣は
「明るく盛大、周囲と共に潤う豊かさを表す良好な月運。協調の精神を第一に励めば伸展の兆しは十分にあり。大欲や自信過剰は慎むこと」
となっていたのだが、何度も言うように、これは一般論。必ず当る。しかし前半はここまで言い切っているのだから、よもや外れることはない、とこれまた誰でも思うだろう。この絶対に有難い月、私はどうなったのか?
9月1日。仕事はなかったので朝からお墓に月参り。1日にいきなり来れたのは久しぶり。で、帰宅してから散髪に行き、帰り道でスーパーに寄って買い物をして、マンションに帰ったらエアコン消すのを忘れていた。
むむ、何やら不穏な気配。
9月4日。何を勘違いしたのか、午前のツアーのレジュメが1枚足りなかった。お1人様レジュメなし。でも許してもらえた。
夜、10月の予約をチェックしていたら、10月8日の午後のツアーがダブルブッキングになっているのに気づく。私のミス。大マヌケ。大慌てで後から受けたお客様に連絡を取って、お詫びする。日を変更してご参加になる。助かった。
9月10日・11日。一泊で淡路島まで行って来た。この道中は何も問題なかったのだが、京都駅まで帰ったところで、鞄の吊ベルトが金属の接合部から折れる。いよいよ買い替えか。まあかなり長いこと使っていた鞄なのでもう引退の時期だったのだが。
そして帰宅してみると、トイレの電気を消し忘れていた。
またまた大マヌケ。
9月17日。午前のツアーのとき、某施設の前で説明をしていると、突如として「狐の嫁入り」があった。
日が照っているのに私の上に雨が降ってきたのである。
「あ、狐の嫁入りです!」と言って喜んでいたら、1人離れて横のほうに立っておられたお客様が、笑いを堪えながら「違う、違う」とばかりに首を横に振っておられる。
「?」と思ってよくよく確かめたら、その施設の2階のベランダ部分で植木鉢にホースで水をやっていた人がいて、その水がシャワーのごとく私の上に降りかかったのであった。狐の嫁入りではなかった。
後から考えると、それは偶然ではなく、私の声が煩かったからわざとやられてしまったのかもしれない。反省。
9月18日。朝から大雨。午前のツアーに集まったお客様たちに
「よろしければ今日の予定の延期も出来ます。近いうちに来る機会がなければ無料のキャンセルも受け付けます」
と言ったら、2名様が来週に変えて欲しいとのご希望だったので受け付ける。結局、エライ雨にもかかわらず11名様が予定どうりご参加。まさに盛運の年の吉運の月だ!
午後のツアーは雨もマシになり、ご予約の全員がご参加。ところが、ツアーが終ったとたんに突如として大雨と大風。解散しても帰りようがない。
仕方ないのでお寺のお堂の前で雨宿り。ボケーッと待っていても仕方ないので、ちょっと普段はやらない秘話を披露して時間潰し。楽しんでいただけたと思う。
話し終ったら風雨もマシになったので解散。この後、よく来てくださるお客様から夕食のお誘いがあったので、尻尾を振ってついて行く。たまにこういう役得があるから観光ガイドはやめられない。
連れて行ってもらったのは新京極にある忍者のレストラン。店のことは知っていたが、入るのは初めて。経験値が上った。
9月19日。天気は悪かったが、ツアーが終る頃には雨も上った。あまり有難くないか。
で、夕食を作っている最中にNTT系の会社の兄ちゃんが来て、「マンションの何やら配電(?)が新しくなったので、すぐに終りますからご説明を」というから、まあ追い返すのも可哀想なので話しを聞くと、配電云々の話のはずなのにこちらの携帯料金は毎月いくらだとかウダウダと訊いてくるではないか。一向に終らない。こちらはフライパンの心配をしているのである。すぐに終る気配もなかったので、「聞いた聞いた聞いた」と言って追い返す。調理中のフライパンは間一髪で無事だった。何が「すぐ終ります」だ。
これがケチの付き始めだったかもしれない。
9月20日。朝から台風接近中の影響で雨。ご予約のお客様にショートメールでご意向を尋ねると、一組は延期ご希望。もう1人は「すでに電車に乗った」とのこと。
これはもうどうしようもないので、台風が近づいてきている雨の中、そのお客様をご案内。こんなことは珍しい。
9月21日。ツアーのレジュメをコピーしていたら、何とA4で撮っているはずがB4にコピーしていた。これまた大マヌケ。これも不吉の予兆か?
9月24日。午前のツアーのお客様を待つのに京都駅のいつもの場所にいたら、私の前をセーラー服を着たオッサンが通り過ぎて行った。髪は肩まであり、ひょっとしたらカツラかもしれない。年齢は50代であろう。どえらいモノを見てしまった。
そしてこれが凶兆だったのだろうか。この日の午後のツアーで私は土壷のどん底にはまることになる。
(来週に続く)
【言っておきたい古都がある・232】