神仏の加護
~この大らかさを見よ~
前回までは京都や日本のしきたりを見てきたが、今回はまたもや古典に戻る。
今まで少しだけ紹介してきた『古今著聞集』である。何故、断続的な紹介になるかというと、この本はあまり面白くないのである。しかし、たまに「おっ!」というエピソードがある。だから読むのをやめるわけにもいかず、ボチボチ、ボチボチと拾い読みのように、あるいはカタツムリの歩みのように、少しづつしか進まない。
それでもちょっとは面白いところが溜まってきたので、店ざらえセールではないが、一部をご披露する。
まずは「巻5の187」
世尊寺の阿闍梨・仁俊という顕密知法に長けた僧侶がいたが、鳥羽院に仕えていた女房がこの人を中傷した。
悔しく思った阿闍梨が北野天満宮に籠もって「この恥すすぎ給え」
と神様に訴え
「あはれとも神々ならば思いしれ人こそ人のみちをたつとも」
という短歌を詠んで祈った。
すると件の女房は赤い袴をはき、「仁俊にそらごといひつけたるむくひよ」
と叫びながら踊り狂った。
そこで鳥羽院が北野から仁俊を召し出してそのありさまを見せると、仁俊は「これぞ神恩」と涙を流して喜び、有難い経文を唱えて女房の錯乱を解いてやった。
さて、このエピソード、お坊さんが北野天満宮に、つまり神社に籠もって祈っているのである。確かに、昔から
「困ったときの神頼み」
と言う。しかし、坊さんまで神頼みか? 御仏の御慈悲にすがったらどうなのか。
こんなもの「???」という話なのだが、これとは逆のケースもある。
同じく「巻5の173」のエピソードを見てみよう。
ある女が娘の行く末を心配して石清水八幡宮に参ったのだが、この女は
「数珠をすりてうちなきうちなき申しけるに」
とあって、神社の本殿の前で数珠をすり鳴らして祈っているのである。
そこはお寺ではないぞ。
このように高僧は神社で祈り、庶民の女は神社で数珠を使う。
どっちもミスマッチではないのか。
こんなのはいい加減ではないのか。
しかし日本ではOKなのである。
これからは私がいつも言っていることになるのだが。。。
考えてもみよ。
日本人は産まれたら神社でお宮参り、年頃になったらキリスト教の教会で結婚式を挙げ、死んだらお寺でお葬式。
一生のうちに三つの宗教を全部やってしまう。
否。こんな長いスパンで見なくても良い。
もうすぐ12月。この月の24日はクリスマスでキリスト教。1週間ほどして大晦日になれば除夜の鐘で仏教。一夜明ければ初詣で神道。
わずか1週間ほどで三つの宗教を全部やってしまうのである。
この大らかさを見よ。
これを「いい加減」だとか「あいまい」だとか言う有識者とか大学教授もいるが、私はこれでよいと思っている。
だいたい、キリスト教やイスラム教の人たちも、われわれと同じぐらいいい加減でチャランポランだったら、世界はもっと平和になっているぞ。
これからはわれわれのこの「いい加減さ」をもっと世界に広めてはどうか。
そもそも一神教の国では人間が神様に従わねばならないが、日本では「ご利益」といって、神様仏様が人間に奉仕してくださるのである。
こんないい国、他にはないよ。
もう一度、神仏習合を大々的に復活させてはどうか。
神様でも仏様でもいいのである。人間の役に立ちさえすれば。
宗教のために人間があるのではなく、人間のために宗教がある。
これでええやないですか。
【言っておきたい古都がある・205】
古今著聞集(ここんちょもんじゅう)
鎌倉時代、13世紀前半、伊賀守橘成季によって編纂された世俗説話集。建長6年(1254)に成立し、その後増補された。
事実に基づいた古今の説話を集成することで、懐古的な思想を今に伝えようとするものである。20巻30篇726話からなる。
今昔物語集・宇治拾遺物語とともに日本三大説話集とされる。
橘成李(たちばなのなりすえ)は官職は伊賀守で、摂政関白・九条道家の近習。