「どこ行かはりまんねん」 「ちょっとそこまで」
~京都式儀礼の秘技伝授~
前回の最後でお話した桂米朝の落語にある京都のしきたりとも言うべき会話について。
道で出会った人が交わす挨拶に
「どこ行かはりまんねん」
「ちょっとそこまで」
というのがある。これも定番である。こう訊かれて「河原町まで」とか「京都駅まで」とか答える人はいない。また訊くほうも相手がどこに行くのか本当に知りたいわけではない。この「どこ行かはりまんねん」は「こんにちは」と同じで単なる挨拶なのである。それが分からず
「どこ行こうと俺の勝手や」
なんて憤慨すると相手は唖然とするだろう。
「この人、何考えてはんにゃろ」
と。人間性を疑われるのである。こういうときの「どこ行かはりまんねん」には具体的な意味はなく、挨拶を表す一種の記号なのだ。
もちろん、同じ事は訊いたほうにも当てはまり、「ちょっとそこまで」と言われて
「そこまでて、どこまでやねん」
と憤慨してはならない。これもまた一種の記号であって、内容を伴うものではないから。
こういう挨拶はひとつの儀式のようなものである。
別に京都に限った事ではない。大阪にだって有名なのがあるのではないのか。
言わずと知れた挨拶である。
「儲かりまっか」
「ぼちぼちでんな」
これも本当に相手が金儲けをしているのかどうか知りたいわけではない。単なる挨拶で、具体的な意味はない。だからこう言われて
「儲かって儲かってしゃあおへんわ」
なんて言ってはダメ。ここは挨拶として
「儲かりまっか」
「ぼちぼちでんな」
「そんなことおまへんやろ」
「いやあ、あきまへんわ」
と軽く流さなければ挨拶にならない。もちろん、「儲かって儲かってしゃあおへんわ」と答えても誰も信じないだろうから実害はないのだが。
そこで京都に戻るのだが、京都式挨拶の定番は次のようになる。
道で2人の女性がばつたり出会ったとき、
「いやあ」
「まあ」
「お久しぶり」
「ほんまやね」
「どないしてはりましたん」
「まあ色々と」
「せやったん」
「どこ行かはりまんねん」
「ちょっとそこまで」
「ほんまに~」
「ホホホホホ」
「ホホホホホ」
「ほな」
「ほな」
こういう会話をスムースに交わせるようになれば立派な一流の京都人ということになる。
あるいは家に上げてもらってお茶やお菓子が出てきたとき、
「ありがとうございます」
というのはあまり良くない。やはりここも
「そんなん、かましまへんのに」
とか、
「そんな、気ィ使わんといとくれやす」
と言うのが正統派である。もちろん、これは辞退するのではなく「いただきます」という記号であることは言うまでもない。
これが伝統に裏付けられた京都式の挨拶なのである。
このテクニックを理解する事が京都を理解する事にも繋がる。
深く考えることなく、京都の人情の奥深さを味わっていただきたい。
【言っておきたい古都がある・203】