WHOOPEE’S 2

「もぅ解らん。好きにやれ(笑)」
託されたスタッフたちが動き出す。
 現在の「WHOOPEE’S」は、山田、森井、古谷の三氏による鼎立マネージメントになっている。三氏ともに20歳代後半であり、メロコアやハードコアといったジャンルの洗礼をモロに浴びている世代である。’96年頃から同店に加入し、やはり受け身のブッキングは伝統のように続いていた。バンドに助けられていたとは言え、「ツテはなくてもいきなり事務所に電話してみるとか、飲んで仲良くなって出てもらうとか」という動きはしていたという。’80年代のUKハードコアを源流とする「ディスチャージ」「カオスUK」「エクスプロイテッド」「GBH」…、ジャンプコア系と新たに名の付いたジャンルのライヴは、やはり一般的には喜ばれなかったという。「よそではライヴが終わったらマイクはペチャンコになってるし(笑)、やっぱりバイオレンスっていう感じでしたね」。既述の「ハイスタ」に「コールタール」といった、スタッフの彼らが夢中になったバンドは、「学年で10人知ってるか知ってないかぐらいでしたね。流行ってたのは『グレイ』『ミスチル』『ビーズ』、安室奈美恵がスーパーモンキーズを出た頃です(笑)。地道な喜びがありましたね。50人ぐらい入ったら良い方ですからね」。
 「メインストリームの音は他へ行く。よりアングラに開放しよう。極端にうるさくてもここはOK。アングラなのはここしかない」というプライドは日に日に重くなっていった。
インディーズと言う怪物が、
背中を押してくれた時代。
 商業的な話をすれば、動員50人ではお話にならない。ただ、’90年代はパーティ利用が多かったという。「ニルヴァーナ」のカート・コバーンが死んだ]’90年代は、そうして終焉に向かっていった。
 転機はいわゆるミレニアム。インディーズという怪物が現れて、同店に少しずつ追い風が吹いてくる。メディアが注目すると、中身が良いから客が付く。そのシステムでもなく、ムーヴメントというのでもなく、メディアがインディーズというものに注目しだしたこと。それが大きかった。それまでは「EAT MAGAZINE」というインディーズの専門誌があるにはあったが、京都に5冊しか入らないというような恐ろしくレアな雑誌だったという。スタッフは皆あちこち探し回り、扱う書店にいち早く買いに行き、海外や東京のインディーズ情報を、穴があくほど読み耽った。手に入れたCDのライナーも同じぐらいに読み込んだ。ライナーのクレジット、「SPECIAL THANKS」に連なるバンドの名前もくまなくチェックし、ほかのバンドのCDに同じ名前を見つけては、自分なりに系統立てて繋がりを考えた。
ここにも人材育成システムがある。
やっぱり「ガミガミ」言うのである。
 前述のとおり、現在の同店を預かる三氏は皆20歳代。充分に若手と言えるが、18歳からこの世界に入り、ブッキングの何たるか、ライヴハウスの何たるかを目の当たりにしてきた上に、既報の「VOX HALL」のマネージャーが言ったように、バンドのルーツを追いかけるという文化が彼らにはある。本人たちに勉強している気持ちはないだろうが、それは向学心と言っても良い。
 自らブッキングするバンドたち。「やはりメロコアのバンドひとつとってみても、音を聴けば『誰々が好きやろ?』というのが一発で解るバンドもあります。それはやはりルーツを追い切れていないコピーでしかないということで、内心まだ甘いな、とも思います。でもそういうバンドも使っていかないと、と思う。もちろん自分の好みとかではなくて、幅広いブッキングを考えないといけないし」。
 これから出ていくバンドたちには、人からは言われないだろう事を言おうと思う。時には「バンド辞めろ」とまで言う。これも「VOX HALL」のマネージャーと同じである。「ガミガミ」言うのである。
「いくらですか?」で始めるな。
「何人入れるか?」を考えろ。
 ブッキングマネージャーの山田氏などは、自らもバンドマンであり、余計に若手バンドへの苦言も多い。いや、苦言ばかりが先に立つと言ってもいいだろう。人材を育成しようと思うとそれは仕方がないし、世代を越えた物足りなさというのは、どうしても続いてしまうのだ。そのせめぎ合いの中で、新しいジャンルやムーヴメントや音は生まれる。
 まずバンドが客を呼ぶ意識があまりに低いと言う。「ライヴをするのに、『いくらですか?』と聞くんですね。違うやろう、と。『何人ですか?』やろう、と。自分たちの時代は四条通でライヴのフライヤー配ったりしてましたからね。人を呼ぶには、今なんかメールがあるからむしろ楽だと思うんですけどね。フライヤーの雛形渡しても使ったり配ったりしてる風でもないし、チケットができてるのに、取りに来るのがライヴの前日とか(笑)。チケット代が売れなくて、どうせ赤を被るなら配ったら?と思いますよね」。
 無論、ビジネスである以上、ライヴハウスの使用料・利用料というものは受け取ることになる。「ただ何かこう、請求してるみたいでイヤな時はありますね」。客を呼ぶ意識がないから、ライヴをしたいから金を払う。金を払ってライヴをさせてもらう、というスタンスが残念だと。「納得できなくてシバいたこともありますよ。『オマエは何故にギターを握っている!? 意味が解らんっ』と(笑)」。
「よそへ行った時はまず挨拶しろよ」
「ステージが終わったら感想聞けよ」
 ライヴができるところを、足で探すことをしないというのも憂いのタネだ。昔は書店を探し回ったような雑誌でしか知り得なかった情報も、今はケーブルテレビやネットで一発で見つかってしまう。探し回った音源も、ダウンロード一発。足を使わずに情報が手にはいるから、足を使うことに慣れていない。何組かのバンドを一回のライヴに組み込む、いわゆる「タイバン」というシステム。これも「お客を回し合うんじゃないんですよ。互いの客を取って取られて、という意識でないと」。
 「バンドをディスるのが仕事ではないんで、バンド名はカンベンしてください(笑)」という、今は押しも押されもせぬビッグネームになったバンドに対してもボロクソに言ったことも、冷たくしたこともある。「売り込みや噂では良い話を聞かなくて、好かんなぁと思ってても、実際見てみたら良かったりもします」。というケースもあるが、「でもやっぱりいきなりタメ口きくようなのは注意しますね」。マナーに関しては本当にうるさく言うようだ。「よそのライヴハウス行った時はまず挨拶しろよ」「ステージが終わったら『どうでしたか?』と聞け」などなど。テレビや芝居や映画で、若手が各楽屋を回って挨拶する文化と、基本的には同じ事だ。
服屋と飲み屋とレコード屋と…
街と繋がれ、バンドマンたちよ。
 現象・世の流れとして致し方ない部分もある。「服屋とか飲み屋と繋がってないんですよね。バンドが。少し前まではバンドと言えば、服屋かレコ屋か飲み屋のスタッフやった。それで街なかと繋がってたけど、今はそのリンクがない。服屋や飲み屋ではDJとかMCばっかり働いてますからね」。こうなると話はバンドそのものが不遇の時代になったと考えるしかない。これはなかなか抗いがたい流れである。高校生のバンドが減り、楽器屋ではギターが売れなくなり、ターンテーブルの商品構成と売り場面積が増加の一途だ。
 「バンドの努力が足りない」と一言で済ませてしまうのは簡単だが、もちろん、自らがライヴハウスとしての役割、ポテンシャルの精一杯を使おうという意識はある。何度も言う「受け身」な姿勢も変えていかなければと思っている。「ハコをプロデュースすることを覚えていかなければと思ってます」。「WHOOPEE’S」という冠のついた肝いりのイベントも、ここのところ意識して増やしている。
 エディ氏が去り、世代交代を成した。「ソフト」のシンキチ、「コールタール」のムラセ、「瘋癲」のフジタニ…。出演者としても同店を支えた歴代のスタッフたち。これからは、懐古と戦いつつ、温故を忘れぬブッキングが必要になってくる。
 「良い感じにライヴハウスのイメージができた」。せっかく頂戴した評価である。壊さず、また固執せず。変わらず、また留まらず。次の世代を生み出して欲しいものである。