磔磔 2
「その時代に本物はあるのか?」
という問いも愚問に過ぎない
このコーナーでは、何度も同じ事を言う。音楽に関して、何が正しく、何が間違っているという絶対的な基準はない。「つまらないなぁ」と誰かが感じても、アーティストが歌詞に謳っても、売れる音盤は金を生み、レーベルは存続する。「そこに、その時代に本物はあるのか?」という疑問も愚問に過ぎない。
ただ、水島氏のこの’80年代に感じたインプレッションは恐らく、麗蘭やウルフルズ、エレファントカシマシの名前が挙がってくるにしろ、’90年代に入ってからも同じなのではないだろうか。
デモテープ聴いてもさぁ、
実際は違うもん 現在のミュージックシーンについて、これも愚問と知りつつインプレッションを求めてみる。どこまでも朴訥でいて、そして真面目な人である。「僕もわからんよ」。ジャンルによって審査はあるのか? 愚問の上塗りである。ジャンル的にはフリー。数年前も聞いた気がする。「メタルだろうが、結婚式の二次会だろうがやりますよ(笑)」。力の入っていない人だと思ったものだ。その事を伝えると「そんなこと言いました? 体調が悪かったからかもしれない(笑)」。
今は売り込みの多くのデモテープは、スタッフに任せていると言うが、曰く「あんまり知らない人はデモテープを聴く。(聴けたものではないという意味で)ものすごい人いるもん(笑)。でもねぇ、デモテープ聴いてもさぁ、実際は違うもん」。
「京都でやるなら磔磔で」という
ビッグネームの話 昔聴いたブルーハーツのブート盤の中にあったMCを思い出す。甲本ヒロトが「(前略)、マジソンスクエアガーデンもイッパイにして、そんで、また、ロフトで会おうなぁ」。前略の部分には、確か渋公や武道館の名前が入っていたと記憶する。小さなライブハウスからオレ達はどんどん高みを目指す。そして考えられる最高のステージを経験して、それが渋谷だったか新宿だったかは解らないが、要はまたこの自分を育ててくれた、支えてくれたオーディエンスと仲良くなったこのライブハウスで再会しようというのだ。多かれ少なかれバンドにはそういった、いわば「ホームタウン・ライブハウス」なるものがあると聞く。
この磔磔というライブハウスを思うとき、歴史とは別に、常々不思議に思っていたことがある。「京都でやるなら磔磔で」という、ビッグネームの話を聞くことである。彼らの多くは京都の出身でもなく、ブルーハーツにおけるロフトのように、この磔磔で地道なライブを重ねたというのでもない。過去、このライブハウスを訪れた時、メジャーレーベルからのお披露目ライブが行われていたこともあった。彼らもまた、京都出身ではなかった。
その魅力は何なのか。期待するアーティストや、彼らのコメントで、徒にこのライブハウスの格を上げようというのでも、ましてやこのコーナーの格を上げようというのでもない。下手な兵法休むに似たり。磔磔の主は、特に媒体の取材に一家言ある人物である。妙な小細工は逆にご迷惑となろう。質問の意図は伝わったと察するが、ご本人は常に訥々と、噛みしめるように答えてくださるだけである。こちらの温度より、高い次元で歴史を俯瞰してきた人なのだ。
ライブハウスの性格や良し悪しは
客とバンドが勝手に決める THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのノボリと名物のベニヤ看板。磔磔に残されたそれらが、何故か印象に残っていたので、少々突っ込んで何度目かの愚問を重ねてみた。何故に彼らは、恐らくスターダムへの階段の途中に無かったステップ、もしくは踊り場「磔磔」を選んだのか。遂に愚問攻勢にあきらめて下さったか、水島氏も相好を崩した。「(観客動員が)何万人とかの人やもんねぇ(笑)」。そして続けてくれた。
日本のミュージック・シーンを中心に見ている訳だが、このライブハウスには、海外からのビッグ・ネーム出演も枚挙に暇ない。ベン・E・キング、オーティス・ラッシュ、ロイ・ブキャナン、ボ・ディドリー…。錚々たる顔ぶれである。その中に、WILKO JOHNSON、THE PIRATESという名がある。特に前者は何度も磔磔でライブを行っている。「彼らの出演があったからではなかろうか」と言うのである。ザ・ミッシェル・ガン・エレファントがリスペクトしたバンドの出演が、そのまま「磔磔リスペクツ」になったのではないかと。
’70年代中盤のイギリスにおいて、経済状況や階級システムへのアンチテーゼとして興ったムーブメントがセックスピストルズやクラッシュといったブリティッシュ・パンクであり、ほぼ同時期にホールではなく、ガヤガヤと騒がしいパブのような小さなハコに存在したのがパブ・ロックと呼ばれるジャンルであった。それはロックビジネスに対するプロテストでもあり、反骨のロックである。ニック・ロウや前述のウィルコ・ジョンソンが在籍したドクター・フィールグッド、かのエルヴィス・コステロもその代表格と言える。
ではいったい、来日した彼らは磔磔に何を見たのか? そしてこれもまた愚問なのである。「こういうライブハウス」と氏が言った磔磔評は、もちろん単なる一例に過ぎない。ステージと客席の目線の違いで、ライブハウスを染める色も、ライブハウスに満ちる温度も変わる。「(ライブハウスの性格や良し悪しなど)お客さんとバンドが勝手に決めること」。
とある一夜、1ステージを堪能したバンドがいて、そのステージに共感したオーディエンスがいて、その一夜を体験して磔磔をリスペクトするバンドとオーディエンスが生まれる。オーディエンスが後にステージに上がることもあるだろう。その夜を人づてに聞いて、憧れを持つ者もいるだろう。
「彼らと同じステージに」。
だから彼らザ・ミッシェル・ガン・エレファントの面々がそう思ったかどうかは解らない。
酒蔵としてあった当時のままの、柱の一本一本。様々な音を吸い込もうとも、タバコの煙を被ろうとも、分子レベルで残っている同じ柱。だが磔磔という密閉空間の、「同じ景色を見に」「同じ空気を吸いに」という連鎖がライブハウスの歴史であり年輪であるとは信じたい。
ここでまた氏によるテキストの、この部分を引用させていただくのが適切かどうかは解らないが、こんなくだりがある。
「(’70年代に)関西ブルースなどと呼ばれていたが京都はほとんどよそ者です。もちろん京都出身のバンドもありましたが(中略)木曽義仲の時代からよそ者が大きな顔ができる、これが京都の他所にない点だと思います。大阪、名古屋だとまずこうはいかない。閉鎖的だと一般的に言われながら、ここが京都のいいところですね。ちなみに拾得のテリーも私も九州です。まっどうでもいいか」。テキストまでもつくづくお人柄である。
「磔」の字は「はりつけ」
と読むんですよ 「『磔』の字は『はりつけ』と読むんですよ」。
今回も去り際に教わった。「中国の擬音なんですよ。『ひらひら』とか、そんな意味の」。氏の手には漢和中辞典があった。撮影している間に、ご親切にも改めて調べてくださったらしい。なるほど、「物の音。鳥のはばたく音」などとある。
オープン時、命名の由来は今となっては解らない。その名にライブハウスの性格や歩みや将来を重ねて聞くのは、恐らく野暮だろう。ある時、突然羽ばたく訳ではない。また、このライブハウスが極端に羽ばたこうとしているとも思わない。30年を経て存在している事が尊いのであって、その年輪のプロセス、その一部を今回紹介したに過ぎない。
どんなライブハウスだと思うかは、バンドやお客が決めればいい。
ならば、新たな磔磔フリークであるミュージシャンを生み育るライブハウス。そしてこれから30年後も、音や匂いや色の蓄積が続くライブハウス。
そうあって欲しいと願うのだ。